西武701系の逸話:赤電から黄色い電車へ、西武初の高性能カルダン駆動車が起こした技術革命のドラマ

※車両画像はイメージです。実車両とは異なることがあります。

西武701系の逸話:赤電から黄色い電車へ、西武初の高性能カルダン駆動車が起こした技術革命のドラマ

夕暮れ時の西武新宿駅や池袋駅のホームに立っていると、ふと、あの「懐かしい羽音のようなモーター音」が聞こえてくるような気がしませんか?

かつて西武鉄道の主役として、毎日何百万人もの通勤通学客を運び続けた名車、それが「西武701系」です!

赤とベージュのシックな装い、通称「赤電」として親しまれたこの車両は、実は西武鉄道の歴史において、とてつもなく大きな技術的ターニングポイントとなった存在なんですよ。

今回は、そんな西武701系が秘めた技術者たちの情熱と、今なお語り継がれる数々のドラマチックな逸話をたっぷりとお届けします!

「西武の黄色い電車のルーツはどこにあるんだろう?」
「赤電って、具体的にどんな電車だったの?」
そんな疑問を抱く鉄道ファンの皆さんも、この記事を読めば、701系がいかにして昭和の西武鉄道を支え、のちの名車たちへバトンを繋いだのかがハッキリと分かりますよ!

それでは、まずは当時の懐かしい走行シーンや美しい姿を、映像で振り返ることから始めてみましょう!

激増する乗客を救え!1963年に課された過酷なミッション

昭和30年代後半の日本は、まさに「高度経済成長期」の真っ只中でした!
東京の郊外へと住宅地がどんどん広がっていき、西武沿線の人口も爆発的な勢いで増加していたのです。
当時のラッシュ時間帯の混雑ぶりは、現代の比ではないほど凄まじいものだったと言われています。

そんな中、西武鉄道にとっての最大の課題は、「激増する乗客をいかにして安全に、そして素早く大量に輸送するか」ということでした。

実は、当時の西武鉄道で走っていた電車の多くは、国鉄(現在のJR)から譲り受けた古い部品や、大正・昭和初期に作られた旧型車の機器を再利用した車両たちだったんですよ。

これらは「釣り掛け駆動」と呼ばれる、重々しくて大きな音が響く昔ながらの方式を採用していました。
もちろん、それらの車両も実用性としては十分でしたが、日々加速するダイヤの過密化や、スピードアップ、そして何より乗り心地の向上を求める時代の声に応えるには、限界が近づきつつあったのです。

「これからは、もっと静かで、スムーズに加速できて、たくさんのお客さんを乗せられる最新鋭の電車が必要だ!」
そんな西武の未来を担う大きな期待を背負って開発されたのが、1963年(昭和38年)に登場した「西武701系」だったのです!
まさに、時代の要請が生んだ運命の車両だったと言えますね。

「赤電」という愛称に込められた誇り

当時の西武鉄道の電車といえば、下半分が深いローズピンク、上半分が明るいベージュという、独特のカラーリングをしていました。
この上品で温かみのある配色は、ファンや沿線の皆さんから「赤電(あかでん)」と呼ばれ、絶大な人気を誇っていたんですよ!
701系もまた、この美しい赤電カラーを身にまとってデビューしました。

当時の人々にとって、この色の電車がホームに入ってくることは、日常の安心感そのものだったのではないでしょうか?

また、701系は20m級の普通鋼製車体に、1つの側面に3つの扉(3扉車)を持つ、当時の西武線における標準的なスタイルを確立しました。
この設計は、のちの通勤電車の基本形となり、西武の輸送力を格段に引き上げる立役者となったのです!

西武初のカルダン駆動車!技術者たちが挑んだ「足回り」の大改革

西武701系を語るうえで絶対に外せない最大のトピック、それは何と言っても西武鉄道における「本格的なカルダン駆動車の量産化」にあります!
「カルダン駆動って、なんだか難しそうな言葉だな」と思う方もいらっしゃるかもしれませんね。
専門的な仕組みを簡単に説明すると、従来の「釣り掛け駆動」はモーターが線路からの衝撃を直接受けてしまう構造だったのに対し、「カルダン駆動」はモーターを車体にしっかりと固定し、特殊な継手(ジョイント)を介して車輪を回す方式のことです。

これによって、以下のような素晴らしいメリットが生まれました!

  • 走行中のモーター音が格段に静かになり、快適な車内空間が実現したこと
  • 線路や台車への負担が減り、乗り心地が劇的に向上したこと
  • 高速域でのスムーズな加減速が可能になり、スピードアップに貢献したこと

まさに鉄道技術における、歴史的な大発明だったんですよ!
実は、701系が登場する直前の1962年に「601系」という車両が作られ、部分的にカルダン駆動がテストされていました。
しかし、その技術を全面的に採用し、西武の「次世代スタンダード」として大量に製造されたのが、この701系だったのです!

新旧技術のせめぎ合いと、技術者のこだわり

しかし、当時の西武鉄道のトップであった堤康次郎氏の方針もあり、西武の車両開発は「合理的かつ堅実、コストパフォーマンスを重視する」という考え方が非常に強いものでした。
いくらカルダン駆動が素晴らしいからといって、すべての部品を最新のものにすると、莫大なコストがかかってしまいますよね。
そこで技術者たちは、非常にユニークな解決策を編み出しました!

なんと、新造した先頭の制御車(運転台がある車両)などには、あえてこれまでの旧型車の台車や部品を再利用しつつ、中間の電動車(モーターを積んだ車両)にのみ最新のカルダン駆動システムと空気バネ台車を奢るという、「新旧混色・折衷仕様」で製造をスタートしたのです!

一見すると妥協のようにも思えますが、限られた予算の中で最大限の性能を引き出し、一早く多くの新車を送り出すための、血のにじむような工夫だったんですよ。
技術者さんたちの知恵と執念には、本当に頭が下がりますよね!

赤電から黄色へ!現場を支えた「混結」と「冷房化」のサバイバル

1963年のデビューから1967年までに、4両編成を中心に実に多くの車両が製造された701系。
彼らが駆け抜けた昭和40年代から50年代は、まさに「西武鉄道の大激変期」でした。
その荒波の中で、701系はまるでカメレオンのように、時代に合わせた大変身を遂げることになるのです!

その最たる例が、1970年代後半から始まった「冷房化改造」と「黄色(レモンイエロー)への塗装変更」でした!
それまでクーラーがなかった701系に、夏の通勤ラッシュを快適にするための冷房装置を載せるという大がかりな工事が行われたのです。
これに合わせて、それまでの上品な赤電カラーから、現在の西武のイメージカラーでもある鮮やかな「レモンイエロー」へと一新されました。

この塗装変更によって、701系は一気に「現代的な最新鋭電車」のような若々しさを取り戻したんですよ!
「あの赤電が、こんなにまぶしい黄色になるなんて!」と、当時の沿線住民やファンは大いに驚き、そして喜んだそうです。

「なんでも繋ぐ!」運用の柔軟性がもたらしたカオスと職人技

西武701系の素晴らしい強みは、その驚異的な「運用の柔軟性」にありました。
当時の西武新宿線や池袋線では、4両編成の701系に、2両編成の他の車両をくっつけて6両編成にしたり、あるいはさらに繋いで8両、10両といった長大編成にしてラッシュを乗り切っていました。
このとき、相棒となったのが、のちに登場する「801系」や、増結用として大活躍した「401系」といった仲間たちです。

驚くべきことに、これらの形式は見た目も性能も少しずつ異なっていました。
それらをガチャン!と連結し、一つの編成として息を合わせて走らせるのです。

これには、ブレーキの調整や加速のタイミングを合わせるなど、運転士さんたちの神業とも言える職人技術が必要不可欠でした!
「今日は前が401系で、後ろが701系か。よし、ブレーキの癖を読み切ってやろう」
そんな運転士さんたちのプライドが、日々の安全運行を支えていたのですね。

切妻型の「おでこ」が美しい!旧101系へと引き継がれたデザインのDNA

鉄道ファンが西武701系を見て、思わず「おっ!」と声を上げてしまうポイントがあります。
それは、そのシンプルながらも非常に洗練された「フロントマスク(前面デザイン)」です!

701系は、それまでの西武車に多かった「湘南型」と呼ばれる、前面が2枚窓で中央がくの字に折れ曲がったデザインから脱却しました。
平らですっきりとした「切妻(きりづま)型」の前面を採用し、おでこの部分には左右に2つの前照灯(シールドビーム)をすっきりと配置したのです。
さらに、フロントガラスの周りにはステンレスの飾り板が施され、当時の人々にはとても近未来的な、凛々しい表情に見えたに違いありません!

実は、この美しいデザインコンセプトこそが、西武鉄道の歴史的名車である「旧101系」へと受け継がれていく原点となったのです!

101系は黄色い車体にベージュの帯を巻き、西武秩父線の山登りにも対応できる強力なモーターを積んだ、まさに西武を代表する大スターでした。
その101系の、どこか愛嬌がありながらも知的なあの顔立ちは、この701系が完成させたデザインの系譜そのものだったのですよ。
701系がなければ、あの「黄色い電車の決定版」は生まれなかったかもしれない……そう考えると、この車両の存在がいかに重要だったかが分かりますよね!

線路は続くよどこまでも!引退、そして全国へと羽ばたいたセカンドキャリア

時代の寵児として西武線を駆け抜けた701系ですが、平成の足音が聞こえ始め、後継の4扉車である2000系などが大量にデビューすると、徐々に第一線から退くことになります。

1997年(平成9年)、惜しまれつつも西武鉄道でのすべての運行を終え、その長い歴史に幕を閉じました。
「あぁ、あのかっこいい赤電の生き残りが、もう見られなくなってしまうのか……」
誰もがそう寂しさを募らせました。

ところが!ドラマはここでは終わりませんでした!
丈夫で、使い勝手が良く、メンテナンスもしやすい高性能な701系(および改造された系列たち)を、全国の地方私鉄が放っておくはずがなかったのです!

西武線での引退後、多くの701系ファミリーが新しい活躍の場を求めて、全国へと旅立っていきました。
例えば、以下のような路線で彼らは第二の人生(車生?)をスタートさせたのです!

  • 千葉県のローカル線で愛される「流鉄(旧:総武流山電鉄)」
  • 群馬県の自然豊かな風景を走る「上信電鉄」
  • 静岡県で富士山を望みながら走る「伊豆箱根鉄道駿豆線」
  • 三重県と岐阜県を結ぶ「三岐鉄道」

これ、本当にすごいことだと思いませんか?
東京の超過密ダイヤで揉まれたタフな体が、地方ののんびりとした路線で、地元のお年寄りや学生たちの「大切な足」として大歓迎されたのです。
カラーリングもそれぞれの鉄道会社に合わせた個性的なものに塗り替えられ、あるものは「あかぎ」、あるものは「なの花」といった愛称をもらってキラキラと輝き続けました。
形や色は変わっても、その特徴的なおでこのライトや、窓の配置、そして力強いモーターの響きは、まぎれもなく西武701系のDNAそのものでした。
彼らが地方で元気に走る姿を見て、涙した西武ファンも少なくなかったそうですよ!

デスクトップに昭和の西武線を!模型で蘇る赤電の記憶

いかがでしたでしょうか?
西武初の高性能カルダン車として誕生し、ラッシュから地方私鉄のノンビリ運転まで、常に現場の期待に応え続けた西武701系。
その波乱万丈で輝かしい生涯は、まさに日本の鉄道史におけるひとつの大きな「名作ドラマ」だったと言えますね!

現在、残念ながら西武鉄道の線路上で、オリジナルの701系が走る姿を見ることはできなくなってしまいました。
しかし、あの懐かしい「赤電時代」や「黄色い電車の全盛期」を、いつでも自分の手元で復活させる方法があるのをご存知ですか?

そう、「鉄道模型(Nゲージ)」の世界です!
大手模型メーカーのKATOやマイクロエース、そしてトミーテックの「鉄道コレクション」シリーズなどから、この西武701系や、一緒に走った仲間たちの精密なモデルが数多く発売されています。

下半分がローズピンク、上半分がベージュのシックな「赤電」4両編成をレールにのせ、相棒の401系や、当時の最新鋭だった101系とすれ違わせてみる……。
たったそれだけで、あなたの机の上は、あの昭和の活気に満ちた西武沿線の風景へとタイムスリップします!

お気に入りの1編成をコレクションケースに飾り、夜な夜なライトを灯して眺めながら、当時の技術者たちや、毎日ハンドルを握った運転士さんたちのドラマに思いを馳せてみるのも、この上なく贅沢な大人の趣味ではないでしょうか?

ぜひ、あなたのお部屋にも、昭和を駆け抜けた「西武初の高性能車・701系」を招待してあげてくださいね!

 

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