JR169系の逸話:碓氷峠の急勾配に挑んだ「協調運転」の奇跡と技術者たちの執念

※車両画像はイメージです。実車両とは異なることがあります。

JR169系の逸話:碓氷峠の急勾配に挑んだ「協調運転」の奇跡と技術者たちの執念

みなさん、こんにちは!
かつて日本の鉄路を、鮮やかな緑とオレンジの「湘南色」で彩った名車たちを覚えていますか?
国鉄時代の面影を強く残す急行形電車は、多くの人々の旅の思い出とともに走り続けてきました。

今回は、その中でも特別な使命を帯びて生まれた伝説の車両、「JR169系」にスポットを当ててみたいと思います!

急行形電車の完成形とも評されるこの車両には、信越本線の超難所を乗り越えるための、技術者たちの涙ぐましい努力と驚きのアイデアが詰まっているんですよ。

新幹線が開業した今では失われてしまった、あの「峠越え」の熱気と興奮を、当時のエピソードとともに紐解いていきましょう!
これを読めば、かつて信州の山々を駆け抜けた169系の力強いモーター音が、きっと耳の奥によみがえってくるはずです。

まずは、当時の熱い活躍を象徴する、しなの鉄道での美しい雄姿を映像で振り返ってみましょう!

信越本線の絶対的な壁!碓氷峠という「魔の区間」に挑むために

かつて群馬県の横川駅と長野県の軽井沢駅の間には、鉄道関係者から「魔の区間」と恐れられた場所がありました。
それこそが、鉄道ファンの聖地としても名高い「碓氷峠(うすいとうげ)」です!

なんとこの区間、わずか11.2キロメートルの間に、最大で「66.7パーミル」という極限の急勾配が存在していたのをご存じでしょうか?

「66.7パーミル」と言われても、少しピンとこないかもしれませんね。
これは、水平に1000メートル進む間に、垂直に66.7メートルも上るという、普通の鉄道にとっては信じられないような壁なんです!
普通の自転車や車でも、息が切れてしまうような心臓破りの坂ですよね。

当時の国鉄技術者たちにとって、この碓氷峠をいかに安全に、そして効率よく列車を通すかは、大正時代から続く最大の宿題だったのです。

この峠を越えるため、すべての列車は横川駅と軽井沢駅の間で、峠専用の超強力な電気機関車「EF63形」(愛称:ロクサン)を2両、坂の下側に連結する必要がありました。

どんなに高性能な特急電車や急行電車であっても、自力だけでこの坂を上り下りすることは許されなかったのです。
なぜなら、万が一ブレーキが壊れて暴走してしまったら、大惨事になってしまうからですね!

しかし、高度経済成長期を迎えた日本は、レジャーブームやビジネス利用の急増で、信越本線の輸送力増強が急務となっていました。
当時の主力急行形電車だった「165系」も碓氷峠を越えていましたが、ここに大きな「制約」が立ちはだかります。

なんと、165系をEF63形に連結して運転する場合、安全上の理由から「最大8両編成まで」という厳しい制限があったのです!
「もっと多くのお客さんを乗せたいのに、これ以上編成を増やせない!」というジレンマに、国鉄は頭を抱えることになります。

そこで開発されたのが、今回の主役である「169系」だったのです!

165系をベースにしながらも、碓氷峠の制限を打ち破るための「秘密兵器」を搭載した新鋭車として、1969年に華々しくデビューを飾りました。
この車両の登場によって、碓氷峠の歴史は大きく塗り替えられることになります。

技術者たちの執念が生んだ「協調運転」という奇跡

では、なぜ169系は165系が成し得なかった「8両編成の壁」を突破できたのでしょうか?
その答えこそ、当時の最先端技術であった「協調運転(きょうちょううんてん)」の採用です!

これは、電車のモーターと、後ろから押す(または前から支える)補助機関車EF63形のモーターを、電気的なケーブルで繋いで「完全にシンクロ」させて走るシステムなんですよ。

実は、それまでの165系は、EF63形にただ「引っ張られたり押されたり」しているだけの、いわば「お神輿の上の乗客」状態でした。
これでは、連結器や車体にものすごい無理な力がかかってしまうため、8両編成が限界だったのです。

しかし、169系は機関車と「手を繋ぎ、呼吸を合わせて」一緒に坂を上り下りすることができます!
お互いが力を出し合い、ブレーキのタイミングも完全に同期させることで、連結器への負担を劇的に減らすことに成功しました。

この協調運転のおかげで、なんとそれまでの制限を大幅に超える「最大12両編成」での碓氷峠越えが可能になったのです!
これって、当時の輸送力不足に悩む国鉄にとっては、まさに救世主のような出来事だったに違いありません。
一度にたくさんのお客さんを、安全に長野や新潟方面へ運ぶことができるようになったのですから!

しかし、このシステムを完成させるまでには、技術者たちの血のにじむような試行錯誤がありました。
電車と機関車という、全く異なる特性を持つ車両同士をスムーズに同調させるのは、容易なことではなかったのです。

少しでも加速やブレーキのタイミングがズレると、車両同士が押し合って脱線してしまう危険(座屈現象)がありました。
技術者たちは夜な夜な碓氷峠に試運転列車を走らせ、ミリ秒単位での制御調整を繰り返したといいます。
この「協調運転装置」こそ、日本の鉄道技術が誇る、職人技の結晶だったのですね!

165系とはここが違う!169系に隠された驚きの設計思想

一見すると、お馴染みの165系とそっくりな169系ですが、実はその内部や設計には、碓氷峠を安全に克服するための「独自の工夫」が散りばめられています。

ここで、鉄道ファンなら思わずニヤリとしてしまう、169系ならではの特徴的なポイントをいくつかご紹介しましょう!

まず驚くべきなのが、量産車における「編成順序が165系と逆」という点です!

普通の165系は、東京側から「クハ(制御車)ーモハ(電動車)ークモハ(制御電動車)」という順に並ぶのが基本でした。
しかし、169系ではこれが全く逆の順序で配置されているのです。
なぜだか分かりますか?

実は、これも碓氷峠の急勾配対策なんです!
峠のふもとである横川駅では、常に坂の下側(東京側)にEF63形機関車を連結します。
この機関車と直接、電気連結器(ジャンパ連結器)を接続する必要があるため、電車の連結面を機関車に合わせる必要があったのですね。

さらに、万が一のトラブルの際、勾配の途中で重量のある電動車が坂の上側に行ってしまうと、連結器に過大な引張力がかかってしまいます。
そのため、機器の配置や重量バランスを徹底的に計算した結果、あえて「逆並び」という独特のスタイルが選ばれたのです!

また、屋根の上や床下にも、峠越えの厳しい基準をクリアするための特殊な機器がギッシリ詰まっていました。
万が一の停電時にも作動する「非常用過速度検知装置」や、空気バネ台車の空気を自動で排出する装置など、これでもかというほどの安全対策が施されていたのです。

これらはすべて、「絶対に碓氷峠で事故を起こさない」という、設計者たちの強い意志の表れだったのではないでしょうか?

横川駅の緊迫感!現場と乗客が作り上げた峠越えのドラマ

169系が最も輝いていた時代、信越本線の横川駅では、毎日繰り返される「お祭り」のような光景がありました。
それが、EF63形機関車との連結・解放作業です!

この作業に与えられた時間は、わずか数分間。
駅のホームは、まるで戦場のような活気と緊張感に包まれていました。

列車が横川駅に滑り込むと、待機していたEF63形がゆっくりと近づいてきます。
誘導員のテキパキとした旗振りに従って、ドスンという鈍い音とともに連結!
その瞬間、駅員さんたちが手際よく、太いジャンパケーブルを何本も手作業で接続していきます。

この間、乗客たちは一斉にホームに降り立ち、有名な「横川駅の峠の釜めし」を買いに走るのがお約束の光景でした。
「釜めし、お弁当!」という売り子さんの威勢の良い声と、連結作業の金属音が響き渡る横川駅は、まさに旅の情緒そのものでしたよね。

連結が終わると、いよいよ碓氷峠への挑戦が始まります。
運転士さんは、機関車側の運転士さんと無線で連絡を取り合い、息を合わせてノッチ(加速レバー)を入れます。
「ピーッ!」と甲高いホイッスルが響き、169系はEF63形の力強い後押しを受けながら、ゆっくりと緑深い急勾配へ分け入っていきました。

車内に響く、169系のMT54形モーターの重低音と、ロクサンの唸り声。
窓の外を見ると、明らかに車体が斜めに傾いているのが分かります!

乗客たちは、その独特の浮遊感と車内の緊張感を肌で感じながら、峠を越えて軽井沢の爽やかな高原へと抜けていったのです。
急行「信州」や「妙高」、「志賀」といった名物急行に乗ってスキーや登山へ向かった人々にとって、この碓氷峠越えは、旅のハイライトとして一生忘れられない思い出になったことでしょう。

国鉄からJR東日本へ、そして奇跡の「しなの鉄道」譲渡へ

時代は流れ、1987年に国鉄が分割民営化されると、169系はJR東日本へと引き継がれました。

しかし、時代の波は非情でした。
より速く、より快適な「特急あさま」へのシフトが進み、さらに1997年の長野新幹線(現・北陸新幹線)の開業が決定したのです。
これは同時に、169系が命をかけて走り続けた「碓氷峠の廃止」を意味していました。

新幹線の開業に伴い、横川〜軽井沢間の在来線は廃止され、信越本線の軽井沢〜篠ノ井間は第三セクターの「しなの鉄道」へと移管されることになります。
多くの国鉄急行形電車がこの時期に引退・廃車となっていく中、なんと169系には、誰も予想しなかった「奇跡のセカンドライフ」が待っていました!

JR東日本で役目を終えようとしていた169系のうち、3両編成4本(計12両)が、新生しなの鉄道へと譲渡されることになったのです!

これは本当に、全国の鉄道ファンにとって嬉しいサプライズでしたよね!
かつて碓氷峠をともに越えた相棒たちを失った169系でしたが、長野の美しい山々をバックに、今度は地域の通勤・通学の足、そして観光列車として第二の人生を歩み始めたのです。
しなの鉄道独自の赤とグレーを基調としたシックなデザインに塗り替えられた169系は、新天地でも大人気となりました。

さらにファンの胸を熱くさせたのが、しなの鉄道の粋な計らいでした。
なんと、引退が近づいた晩年、車両をかつての懐かしい「湘南色(緑とオレンジ)」へと復元したのです!
信濃路の美しい自然の中に、あの国鉄時代の鮮やかなカラーリングがよみがえった瞬間は、多くの鉄道ファンの涙を誘いました。
昭和44年(1969年)に製造された超ベテラン車両が、平成の世になっても現役で走り続ける姿は、まさに奇跡そのものだったと言えるでしょう。

2013年4月29日、感動のラストランと今も息づく「峠の魂」

しかし、どんな名車にもいつかは「その時」がやってきます。
老朽化や部品の確保が難しくなったことから、しなの鉄道の169系もついに引退の時を迎えることになりました。
2013年4月29日、五月晴れの青空のもと、169系のラストランが実施されました。

沿線には、長年彼らの走りを見守り続けた地元の人々や、全国から駆けつけた数千人もの鉄道ファンが詰めかけました。
大きな拍手と「ありがとう!」の声に包まれながら、169系は最後のタイフォンを響かせて駆け抜けていきました。
この日をもって、169系は全ての営業運転を終了し、国鉄時代から続いた「急行形協調電車」の歴史に完全なピリオドが打たれたのです。

 

営業運転から退いた169系ですが、その歴史的価値の高さから、今でも大切に保存されている車両があります!

例えば、しなの鉄道の「坂城(さかき)駅」前には、現役当時の美しい湘南色のまま、169系(クモハ169-1、モハ168-1、クハ169-27)が静態保存されているんですよ。

地元の方々によって今もピカピカに磨き上げられており、車内が公開されるイベントも定期的に開催されています。
また、かつての「碓氷峠鉄道文化むら」などでも、そのDNAを感じることができます。

彼らが命をかけて挑んだ碓氷峠の鉄路は途切れてしまいましたが、169系が証明した「協調運転」のスピリットや高い技術力は、現代のJR東日本の最新型車両や、山岳路線を走る電車の安全設計に、今も確実に受け継がれています。

彼らの挑戦は、決して無駄ではなかったのですね!

あの日の感動を、あなたの机の上で再現してみませんか?

さて、ここまで169系の熱いドラマを振り返ってきましたが、いかがでしたでしょうか?
「あの湘南色の勇姿を、もう一度間近で見たい!」
「碓氷峠のあの緊迫感を、自分の手で再現してみたい!」
そんなふうに胸が熱くなった方も多いのではないでしょうか?

そんなあなたにおすすめしたいのが、鉄道模型(Nゲージ)の世界です!

実は、トミックス(TOMIX)やカトー(KATO)といった主要メーカーから、この「JR169系」や相棒の「EF63形」が、驚くほど精巧なディテールで製品化されているんですよ。
169系独特の「ジャンパ栓受け」の造形や、美しい湘南色の塗り分けまで、実車さながらに再現されています。

机の上に小さな線路を敷いて、169系の後ろにEF63形を2両連結してみる。
そして、当時の横川駅での連結作業を思い浮かべながら、ゆっくりとダイヤルを回して走らせてみる……。
これって、鉄道ファンにとって最高に贅沢で、ロマン溢れる時間だと思いませんか?

ぜひ、あなたのお部屋にも、あの懐かしい「峠のヒーロー」を迎え入れて、昭和から平成へと駆け抜けた青春の旅路を再現してみてくださいね!

 

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