
窓の外に広がる、どこまでも続く緑の山々と、時折吹き抜ける冷たい風。
かつて日本の山岳路線を、鮮やかなオレンジとグリーンの「湘南色」で駆け抜けた名車を覚えているでしょうか?
そう、今回スポットを当てるのは、国鉄・JRの急行黄金期を支え抜いた伝説の名車、「JR165系(国鉄165系)直流急行形電車」です!
この記事を読めば、165系が過酷な自然にどう立ち向かったのか、その驚きの開発ドラマと愛すべき歴史がすべて分かりますよ!
「急行といえば、やっぱりあのボックスシートと、高らかなモーター音が懐かしいな」という方も多いのでは?
実は、この165系には、当時の技術者たちが命を吹き込んだ「山登りのための驚くべき秘密」が隠されているんです。
単なる古い電車と侮るなかれ、そこには現代のハイテク車両にも受け継がれる、熱い挑戦の歴史がありました。
それでは、あの懐かしい昭和の旅情へと、一緒にタイムスリップしてみましょう!
まずは、当時の現役時代の勇姿を、貴重な映像で振り返ってみましょう!
高度経済成長期に立ちはだかった「険しい山」という壁
時は1960年代初頭、日本はまさに高度経済成長期のまっただ中にありました!
人々は豊かになり、余暇を楽しむための「旅行ブーム」が日本全国に沸き起こっていたんです。
特に人気を集めたのが、信州の山々を目指す登山客や、冬の上越線へと向かうスキーヤーたちでした。
上野駅や新宿駅のホームは、大きなリュックを背負った旅人たちで、毎日溢れんばかりの熱気に包まれていたんですよ。
しかし、当時の国鉄(日本国有鉄道)には、解決しなければならない大きな頭痛の種がありました。
それは、目的地である信州や北陸、東北へと向かう途中に立ちはだかる、「険しい山岳路線」です!
当時の東海道本線など、平坦な路線では「153系」という素晴らしい急行形電車がすでに大活躍していました。
これに味をしめた国鉄は、山岳路線にも急行電車を走らせようとしたのですが、現実はそう甘くはなかったのです。
平坦な路線用に設計された153系は、坂道だらけの山登りが大の苦手でした。
急な坂を登ろうとすると、モーターに無理がかかって熱を持ってしまい、最悪の場合は故障を招く危険があったのです。
さらに、山陽本線の瀬野〜八本松(通称・セノハチ)などの連続する急勾配区間では、後ろから別の機関車(補機)に押してもらわなければ登れないという、なんとももどかしい状態でした。
「もっと力強くて、雪にも坂にも負けない、新しい急行電車がどうしても必要なんだ!」
そんな悲鳴のような要請から、165系の開発プロジェクトがスタートしたのです。
技術者たちの執念が生んだ「山登りスペシャル」の秘密
山岳路線という過酷なステージで走るため、165系には数々の画期的な技術が注ぎ込まれました。
ここからは、技術者たちがどのような挑戦でその課題を解決していったのか、そのドラマを見ていきましょう!
「20%のパワーアップ」を成し遂げた伝説のモーター・MT54
まず技術者たちが着手したのは、心臓部であるモーターの強化でした。
従来の153系に搭載されていたのは、出力100kWの「MT46」というモーターでしたが、これをさらにパワーアップさせる必要があったのです。
そこで開発されたのが、国鉄史上に残る傑作モーター、「MT54形直流直巻電動機」でした!
なんと、この新しいモーターは出力を120kWへと、約20%も向上させることに成功したのです!
たった20%と思うかもしれませんが、編成全体で見ればその差は歴然でした。
これによって、息を切らすことなく、険しい山道をグイグイと登っていく圧倒的なパワーを手に入れたわけですね。
このMT54形モーターは非常に信頼性が高く、のちに登場する115系(近郊形)や183系(特急形)など、数々の名車にも採用される国鉄の大ベストセラーとなったんですよ。
下り坂の恐怖を打ち破る「抑速発電ブレーキ」の魔術
山登りにおいて、実は登る時よりも「下る時」の方がはるかに危険だということをご存じでしょうか?
長い下り坂を、通常の車輪を締め付けるブレーキ(空気ブレーキ)だけで下り続けると、恐ろしい現象が起こります。
摩擦熱でブレーキが効かなくなる「フェード現象」や、ブレーキ部品が破損してしまう危険性があったのです。
そこで、165系には秘密兵器として「抑速(よくそく)発電ブレーキ」が搭載されました。
これは、下り坂でモーターの回転を電気に変え、その電気を抵抗器で熱として逃がすことで、車輪に触れずにブレーキ力を得るシステムです。
例えるなら、自動車の「エンジンブレーキ」のようなものですね!
この技術のおかげで、165系はどんな急勾配の下り坂でも、安全かつスムーズにスピードを一定に保って下りることができるようになりました。
技術者たちの安全への強いこだわりが、このシステムを完成させたのです。
豪雪に耐える「耐寒・耐雪構造」という鎧
さらに、165系が挑まなければならなかったのが、上越線や信越本線などの「容赦ない大雪と寒さ」でした。
電車にとって、雪は最大の天敵の一つなんですよ。
細かい雪が車内や床下の精密機械の中に入り込んで溶けると、ショートして故障の原因になってしまいます。
そこで、165系には徹底した雪対策が施されました。
例えば、冷たい空気を車内に取り入れる「空気吸入口」には、雪の侵入を防ぐ特別なフィルターや構造が採用されました。
さらに、ドアが凍りついて開かなくなるのを防ぐために、ドアの隙間にヒーターを仕込んだり、レール上の雪をはねのける強力なスノープラウ(除雪板)をスカート(排障器)の下に取り付けたりしたのです。
まさに、山岳と豪雪に立ち向かうための「フル装備の鎧」を身にまとった車両、それが165系だったわけですね!
現場を救った「クモハ165」と、乗客を魅了した至福の車内
165系がこれほどまでに愛され、長きにわたって活躍できたのには、実はもう一つの「素晴らしいアイデア」がありました。
それが、「クモハ165形」という先頭車の誕生です!
従来の153系では、2両の電動車(モーター車)がペアを組む「モハ+モハ」という構成が基本で、編成の端には必ずモーターのない先頭車(クハ)を連結しなければなりませんでした。
そのため、最低でも4両編成以上でなければ走ることができなかったのです。
しかし、165系では、運転台がついたモーター車である「クモハ165形」と、パンタグラフ付きの「モハ164形」をペアにしました。
これに運転台付きの「クハ165形」を組み合わせることで、なんと「最短3両編成」での運行が可能になったのです!
これが、現場の運行担当者さんたちにとっては夢のような柔軟性をもたらしました。
「乗客が少ないローカル線には3両編成で走らせよう」
「大勢のお客さんが乗る大都市近郊では、3両編成をたくさん繋げて12両編成にしよう」
といった、まるでおもちゃのブロックを組み立てるかのような、自由自在な使い方ができるようになったのです!
急行全盛期には、先頭車がいくつも連結された長い編成が山を越えていく、非常にユニークで頼もしい姿が見られました。
そして、乗客にとっても、165系はとても魅力的な車両でした。
客室に一歩足を踏み入れれば、そこには青いモケット(シート生地)が張られた、ゆったりとした4人掛けのボックスシートが整然と並んでいました。
客室と出入り口(デッキ)の間には、冬の冷たい風を遮るための仕切り扉がしっかりと設けられており、車内はいつもポカポカと温かく保たれていたのです。
さらに、一部の編成には、旅の楽しみを何倍にも膨らませてくれる「サハシ165形」という車両が連結されていました。
この「サハシ」の「シ」は、食堂車の意味なんですよ!
車両の半分が普通の座席で、もう半分が立ち食い式のビュッフェになっており、そこでは温かいお蕎麦やうどん、サンドイッチ、そして冷たいビールなどが提供されていました。
車窓を流れる美しい山々の景色を眺めながら、ビュッフェで一杯引っかける……。
これこそが、昭和の旅における最高の贅沢であり、乗客たちの憧れのひとときだったのではないでしょうか?
「夜行急行アルプス」から「第二の人生」まで:人々が紡いだ涙と汗のドラマ
165系はその万能な性能を活かして、全国の直流電化区間で縦横無尽に活躍しました。
特に有名なのが、中央本線を走った急行「アルプス」です!
毎週末の深夜、新宿駅のホームには、大きなキスリング(横長の中型・大型ザック)を背負った登山客たちが、この「アルプス」を待って長い行列を作っていました。
夜遅くに新宿を出発した165系は、ガタゴトと心地よい音を立てながら、深夜の中央本線を甲府、そして松本へと目指します。
車内は、これからの山登りに胸を膨らませる若者たちの熱気と、どこか心地よい緊張感で満ちていたそうです。
夜が明ける頃、大糸線の駅に到着すると、登山客たちは一斉に降車し、それぞれの頂を目指して歩き出していきました。
彼らにとって、165系の車内で過ごす夜は、冒険の始まりを告げるプロローグそのものだったのですね。
しかし、時代は流れ、新幹線や特急列車の網が日本全国に広がっていくと、165系のような「急行列車」は徐々にその役目を終えていくことになります。
スピードが重視される時代になり、急行は次々と廃止されるか、特急へと格上げされていってしまったのです。
ですが、ここで165系のドラマは終わりませんでした!
なんと、彼らには「第二の人生」という、新たな大活躍の舞台が用意されていたのです。
急行の仕事を奪われた165系は、その強力なパワーと短い編成でも走れる特徴を活かして、地方のローカル線や、大都市圏の「普通列車」へと転用されました。
車内は急行時代の豪華なボックスシートやデッキ仕切りのままなのに、乗車券だけで乗れる普通列車として走ったため、鉄道ファンからは「乗り得列車」として絶大な人気を博したんですよ!
通勤・通学のお客さんたちにとっても、ちょっと贅沢な気分が味わえる嬉しい存在でした。
さらに、その高い性能に惚れ込んだ私鉄各社へと、第二の就職を果たす仲間たちも現れました。
富士急行へと譲渡された車両は、なんと大改造を受けて、富士山のふもとを走る華やかな「フジサン特急」として、観光客を大いに喜ばせました。
秩父鉄道へと渡った車両も、地元の足として、そしてファンの熱い視線を浴びながら、2010年代まで現役で走り続けたのです。
国鉄という生まれ故郷を飛び出し、新しい土地でも愛され続けたその姿は、まるで第二の人生を謳歌するベテラン社員のようで、どこか誇らしげですよね!
受け継がれるDNAと、現在もその姿に会える場所
国鉄・JRでの165系の定期運行は、2003年までにほぼ終了してしまいました。
そして、私鉄に譲渡された仲間たちも、老朽化には勝てず、2016年頃までに惜しまれつつもすべての現役運転を終了しています。
しかし、彼らが残した「足跡」と「技術のDNA」は、決して消え去ったわけではありません!
山を安全に登り、安全に下るために165系で確立された「MT54形モーター」や「抑速発電ブレーキ」、「耐寒・耐雪構造」といった技術は、その後登場した国鉄の完成形近郊形電車「115系」にほぼそのままの形で受け継がれました。
さらに、JR発足後に開発された最新のステンレス車両や、山を走る特急車両たちの中にも、165系が過酷な自然と戦う中で得たデータやノウハウが、しっかりと活かされているのです。
165系が流した汗と技術者たちの挑戦があったからこそ、私たちは今でも安全に、快適に山の旅を楽しむことができるのですね。
「そんな素晴らしい165系に、もう一度だけ会いたい!」
そう思ったあなたに、嬉しいニュースがあります!
実は、JR東海が運営する愛知県名古屋市の博物館「リニア・鉄道館」では、美しい状態に整備された165系(クモハ165形など)が大切に保存されているんですよ!
あの懐かしい「湘南色」の車体を目の前にすれば、当時のモーターの唸りや、どこか誇らしげに山へと向かっていったあの日の姿が、昨日のことのように蘇ってくるに違いありません。
ぜひ一度、足を運んで、その素晴らしい佇まいをじっくりと眺めてみてくださいね。
あの日の感動を、机の上で何度でも蘇らせよう!
かつて日本の山々を震わせ、数え切れない旅人たちの夢を乗せて走ったJR165系。
その歴史を知ると、あのオレンジと緑の車体が、さらに愛おしく、輝いて見えてきませんか?
そんな165系の雄姿を、あなたの目の前で、いつでも好きな時に復活させる素晴らしい方法があります。
それが、「鉄道模型(Nゲージ)」でコレクションする楽しみです!
現在、KATOさんやTOMIXさんといった大手模型メーカーからは、この165系が非常に精密なクオリティで多数製品化されています。
急行「東海」や「アルプス」といった、往年の長編成を再現して走らせるのも大迫力で素晴らしいですし、ローカル線をポツリと走る3両編成をトコトコと走らせるのも、なんとも言えない哀愁があって最高ですよ!
机の上に小さな線路を敷いて、あの独特なボックスシートに思いを馳せながら、緑とオレンジの車両が走り去る姿を眺める……。
これこそ、大人のための極上のリラックスタイムではないでしょうか?
ぜひ、あなたのお部屋にも、昭和の山岳ヒーロー「JR165系」を迎え入れて、あの輝かしい急行黄金期の熱気と、旅のワクワク感をもう一度味わってみてくださいね!