
仙台エリアの懐かしい鉄道風景に思いを馳せているとき、ふと「そういえば、あの昔走っていた珍しい電車は何だったんだろう?」と気になることはありませんか?
特に、東北本線などで見かけた、温かみのあるローズピンクの国鉄カラーや、爽やかなグリーン帯のJR東日本カラーをまとった、あの3両編成の電車です。
それこそが、知る人ぞ知る東北の隠れた名車、「JR417系(国鉄417系)」なんですよ!
実はこの車両、なんと5編成・15両しか造られなかった、とっても希少な存在なんです。
「なぜそんなに少なかったの?」
「どんな特別な技術が詰め込まれていたの?」
といった疑問が、次々と湧き上がってきますよね!
今回は、そんなJR417系が歩んだ数奇な運命と、技術者たちが東北の厳しい寒さに挑んだ熱いドラマを、たっぷり丁寧にご紹介します!
この記事を読めば、かつて東北の通勤・通学を支えた417系の隠された魅力がスッキリ分かり、鉄道の歴史がもっと愛おしくなること間違いなしですよ!
それではさっそく、当時の勇姿を映像で振り返ってみましょう。
東北の通勤ラッシュを救え!417系誕生の背景にある切実な課題とは?
昭和50年代前半、東北の拠点都市である宮城県の仙台地区は、大きな転換期を迎えていました。
都市化が急速に進み、通勤や通学で鉄道を利用するお客さんが爆発的に増えていたのです。
しかし、当時の仙台地区の普通列車といえば、その多くが機関車に引っ張られる「旧型客車」と呼ばれるレトロな客車列車でした。
客車列車は旅情があって素敵なのですが、毎日の通勤ラッシュとなると、実はかなりの弱点があったのをご存じでしょうか?
まず、機関車が重い客車を引っ張るため、電車に比べて加速や減速がとてもゆっくりだったのです。
これでは、駅の間隔が短い通勤路線ではダイヤのスピードアップが難しくなってしまいますよね。
さらに大きな問題が、駅での乗降時間でした。
当時の客車は、ドアが手動式、あるいは半自動式で、乗降口が非常に狭かったのです。
ラッシュ時には、狭い出入口にお客さんが殺到してしまい、電車が遅れる原因になっていました。
「これではいけない!一刻も早く、テキパキと走れてドアの開け閉めがスムーズな『近郊形電車』を導入しなければ!」と、当時の国鉄(日本国有鉄道)は立ち上がったわけです。
ここで問題になったのが、東北地方ならではの電気の仕組みです。
仙台周辺の鉄道路線は、家庭用コンセントと同じように電流の向きが常に変化する「交流」という方式で電化されていました。
しかし、首都圏や他の地域では、電流の向きが一定の「直流」という方式が使われています。
将来的に首都圏からの直通運転を行ったり、他のエリアへ車両を貸し出したりするためには、この「交流」と「直流」の両方の区間をそのまま走り抜けられる、高度な電気回路を持った「交直流(こうちょくりゅう)電車」が必要不可欠だったのです。
こうして、東北の通勤輸送を劇的に改善するための期待の星として、1978年(昭和53年)、ついに417系が産声を上げました!
技術者たちの意地と挑戦!「2扉セミクロス」と「雪切室」に隠された秘密
新しく開発された417系には、東北という北の大地で毎日安全に、そして快適に走るための最新技術とアイデアがこれでもかと詰め込まれました。
まず注目したいのが、その車内の座席配置、すなわち「セミクロスシート」の設計です。
417系は、片側に2つの大きな両開きドアを備え、ドアの周りは広々としたロングシート(横長のベンチシート)、車両の中央部にはボックス席(クロスシート)を配置する形を採用しました。
「通勤型なら、山手線みたいに全部ロングシートにすればよかったのでは?」と思われるかもしれません。
しかし、当時の東北本線は、数時間もの長い距離を乗り通す旅行者や出張中のお仕事帰りの方もたくさん乗っていました。
そのため、混雑時にはたくさんのお客さんを乗せつつ、閑散時には旅の疲れを癒やせる快適な座席を提供するという、究極のバランスを追求した結果が、この「2扉セミクロスシート」だったのです!
そして、417系を語る上で絶対に外せないのが、徹底した「耐寒耐雪(たいかんたいせつ)仕様」です。
冬の東北地方は、氷点下の寒さと容赦ない吹雪が襲いかかります。
普通の電車をそのまま走らせると、雪が車内の機械に入り込んで溶け、ショートして故障してしまう原因になります。
そこで国鉄の技術者たちが開発した秘密兵器が、「雪切室(ゆききりしつ)」と呼ばれる特殊な部屋です!
これは、電車のモーターを冷やすための外気を取り入れる際、雪と空気を分離するためのスペースなんです。
車体の側面にある、あの特徴的なルーバー(よろい戸のようなスリット)から吸い込まれた空気は、この雪切室を通ることで、雪だけが下に落とされ、乾いたきれいな空気だけがモーターへと送り込まれる仕組みになっています。
この雪切室の導入により、417系は「雪の日でも絶対に壊れないタフな電車」として、圧倒的な信頼性を手に入れることに成功しました。
床下のデリケートな高電圧機器も、頑丈なカバーや防雪対策でガッチリとガード。
まさに、技術者たちの執念とプライドが結実した、冬の寒さにめっぽう強い「みちのくの戦士」が誕生した瞬間でした!
なぜわずか15両?時代の波に翻弄された417系の「なぜ?」
これほどまでに完成度が高く、東北の気候にぴったりマッチした素晴らしい417系。
誰もが「これから東北の主役として、何百両も増備されていくのだろう!」と確信していました。
しかし、現実は非常に非情なものでした。
なんと、最初に製造された3両編成×5本の「計15両」だけで、製造がピタリとストップしてしまったのです!
一体なぜ、これほどの名車が少数派で終わってしまったのでしょうか?
その最大の原因は、当時の国鉄が抱えていた深刻な財政赤字でした。
昭和50年代の国鉄は、文字通り破産寸前の状態にあり、新しい車両をたくさん造る予算がほとんど残っていなかったのです。
特に417系のような「交直流電車」は、交流区間と直流区間の両方を走るための変圧器や整流器など、高価な電気機器を床下にぎっしり積まなければなりません。
そのため、直流専用の電車に比べて、製造コストが何倍も跳ね上がってしまうという致命的な弱点がありました。
国鉄の経営陣は頭を抱えました。
「417系は素晴らしい電車だが、高すぎてこれ以上は買えない……。でも、東北の客車列車はすぐにでも置き換えたい。どうすればいいんだ!」
そこで編み出されたのが、既存の古い車両を「魔改造」して使い回すという、執念のコストカット作戦でした。
当時、新幹線の開業などによって、急行列車に使われていた「455系」などの急行形電車や、寝台特急として使われていた「583系」という電車が余り始めていました。
国鉄は、「この余った電車の座席をロングシートに改造したり、扉を増やしたりして、普通列車用にすれば安上がりじゃないか!」と思いついたのです。
こうして生まれたのが、のちに寝台電車を無理やり普通電車に改造して話題となった「715系」などでした。
さらに、417系で培った優れた車体設計のノウハウだけを活かし、足回り(モーターや台車などの精密機器)は廃車になった急行形電車から丸ごと再利用して新品の車体を載せる、「413系」や「717系」といった「車体更新車(しゃたいこうしんしゃ)」という手法まで生み出されました。
つまり、417系はあまりにも「理想的で贅沢な設計」だったがゆえに、国鉄の苦しいお財布事情によって翼をもがれてしまった、悲劇のエリート車両だったのです。
現場の苦労と愛着!仙台の四季を駆け抜けた日々
わずか15両という、極めて珍しい少数派になってしまった417系ですが、現場の運転士さんやメンテナンスを行う整備士さんたちからの評価は、実はすこぶる高いものでした。
何と言っても、新造車ならではの静かでスムーズな乗り心地と、寒冷地仕様がもたらす抜群の安定感は、他のはるかに古い改造車たちとは一線を画していたのです。
「今日の乗務は417系か!それなら足元も暖かいし、雪の日でも安心してノッチ(アクセル)を入れられるな!」と、運転士さんたちも喜んでハンドルを握っていたそうですよ。
車内は、国鉄の寒冷地仕様の伝統である「客室とデッキを仕切る仕切り戸」をあえて廃止し、代わりに寒風を防ぐための風除け板を設置するなど、居住性を大幅にアップさせていました。
乗客の皆さんにとっても、「417系が来たらラッキー!車内が明るくて静かで、乗り心地が良いからね」と、密かに人気の高い「当たり車両」だったのです。
しかし、少数派ゆえのユニークな苦労もありました。
車両基地の整備士さんたちにとっては、15両しかいない417系のために、特別な予備部品を常にストックしておかなければなりませんでした。
他の何百両とある大所帯の形式に比べて、整備の手間やノウハウの共有が難しく、まるでクラスに1人だけいる「ちょっと手のかかる、でも優秀な優等生」のような存在だったのかもしれませんね。
それでも417系は、東北本線の黒磯から一ノ関の間を中心に、時には常磐線や仙山線といった難所にも顔を出しながら、黙々と日々の任務をこなしていきました。
秋の紅葉シーズンも、猛吹雪が吹き荒れる極寒の冬も、417系は一度も音を上げるこなく、仙台エリアの足として30年近くにわたり、黙々と走り続けたのです。
奇跡のセカンドライフ!「阿武隈急行A417系」としての復活と未来へのDNA
2000年代に入ると、さすがの417系も老朽化の波には勝てなくなってきました。
JR東日本では、バリアフリーに対応し、さらに省エネ性能を高めた新型車両「E721系」などの導入が進み、ついに2007年(平成19年)、417系は惜しまれつつも定期運行から引退することが発表されました。
「これで、あの美しい交直流電車もすべて解体されて、過去の遺物になってしまうのか……」
と、多くの鉄道ファンが肩を落としました。
ところが!ここで、誰も予想しなかった「奇跡の大逆転ドラマ」が起こるのです!
なんと、最初に製造された記念すべき第1編成(3両)が、福島県と宮城県を結ぶ第三セクター鉄道「阿武隈急行(あぶくまきゅうこう)」へと譲渡されることが決定したのです!
これは当時、鉄道業界でもものすごいニュースになりました。
なぜなら、国鉄やJRで引退した古い交直流電車が、地方の第三セクター私鉄にそのまま譲渡されて現役復帰するというのは、極めて異例中の異例のことだったからです。
阿武隈急行では、新天地での活躍に備えて、車体を爽やかなスカイブルーとアイボリーのオリジナルカラーにリニューアル。
形式名も「A417系」と改められ、朝夕のラッシュ時間帯を支える救世主として、見事に第二の人生をスタートさせました!
阿武隈急行線内は交流電化のため、自慢の交直流機能のうち「直流」を使う機会はなくなってしまいましたが、417系が誇る強固な耐雪設計と、乗り心地の良い空気バネ台車は、地方鉄道の厳しい冬を乗り越える上で、これ以上ない心強い味方となったのです。
この阿武隈急行での活躍は2016年(平成28年)まで続き、部品の確保が難しくなったことから惜しまれつつも完全引退を迎えました。
しかし、わずか15両しか生まれなかった電車のうち、1編成がこうして多くの人々に愛されながら、最後まで走り抜いたというのは、本当に幸せなことだと思いませんか?
そして何より、417系が残した技術のDNAは、決して途絶えてはいません。
彼らが切り拓いた「2扉セミクロスシート」のコンセプトや、過酷な雪国を走るための「雪切室」のノウハウは、その後の国鉄・JRの寒冷地向け車両の設計に多大な影響を与えました。
いま東北を颯爽と走っている最新のハイテク電車たちの中にも、417系を造り上げた技術者たちの熱い血潮が、しっかりと受け継がれているのですね。
デスクの上で再現する「みちのくの旅」!鉄道模型で楽しむ417系
実車の417系は、すでにすべての車両が廃車となってしまい、その姿をリアルタイムで見ることはできなくなってしまいました。
ですが、私たちの情熱があれば、あの懐かしい東北の頼れる主役を、いつでも目の前によみがえらせることができるんですよ!
その一番の方法が、「鉄道模型(Nゲージ)」の世界です。
実は、JR417系は模型メーカーの「マイクロエース」などから、非常に精密な完成品模型として製品化されているんです!
国鉄時代の懐かしいローズピンクとクリームの交直流標準色はもちろん、JR東日本化された後の白地に緑の帯をまとった「東北地域色」、さらには阿武隈急行に譲渡された後のスカイブルーの「A417系」仕様まで、ファンのツボを押さえたラインナップが揃っています。
417系の最大の魅力は、なんといっても「3両編成」というコンパクトさです。
鉄道模型のレイアウト(ジオラマ)を作る際、10両編成や15両編成といった長い列車を走らせるには広いスペースが必要ですが、417系なら、お部屋のちょっとした机の上や棚のスペースでも、本物そっくりのリアルな佇まいでトコトコと走らせることができます!
仕事や勉強の合間に、あの雪切室のルーバーや、屋根の上にギッシリ並んだ交直流電車ならではの複雑な配線パーツ(検電アンテナやパンタグラフ周辺の機器)を眺めているだけで、時間を忘れてうっとりしてしまいますよ。
「あの頃、仙台駅のホームで発車を待っていた417系にまた会いたいな」
「東北の冬に負けずに走り続けた、技術者たちの傑作を手元に残しておきたい!」
そんな風に思った方は、ぜひこの機会に、417系のNゲージ模型をお部屋にお迎えしてみてはいかがでしょうか?
小さな3両編成が語りかけてくる、東北の厳しい寒さに挑んだ熱い開発ドラマと、どこか優しげなあのモーター音が、あなたのデスクいっぱいに広がることでしょう!