遠州鉄道モハ25号の逸話:昭和を駆け抜けた「最後の吊り掛け駆動車」が遺した、技術者たちの情熱と走りの記憶

※車両画像はイメージです。実車両とは異なることがあります。

遠州鉄道モハ25号の逸話:昭和を駆け抜けた「最後の吊り掛け駆動車」が遺した、技術者たちの情熱と走りの記憶

遠州鉄道の線路際でお買い物を楽しんでいるとき、あるいはふと駅のホームに立ったとき、遠くから「ウィィィィン……」という、地響きのような重低音が聞こえてきたことはありませんか?

あの独特の、どこか懐かしくも力強い音の主こそが、かつて静岡県浜松市を南北に駆け抜けていた、遠州鉄道の“レジェンド”こと「遠州鉄道モハ25号(モハ25-クハ85編成)」だったんですよ!

鉄道ファンからはもちろん、地元・浜松の人々からも「赤電(あかでん)」の愛称で親しまれ、街のシンボルとして愛され続けたこの車両。
実は、単に「古いからレトロで可愛い」というだけの存在ではなかったんです。
昭和、平成という二つの激動の時代を走り抜き、2018年に惜しまれつつも勇退したモハ25号には、当時の技術者たちがかけた熱い情熱と、驚くべき「あえてのこだわり」がギッシリと詰まっていました。

この記事を読めば、モハ25号がなぜこれほどまでに人々を魅了し続けたのか、その理由がハッキリと分かりますよ!
当時の技術者たちが直面した葛藤や、現場の乗務員さんたちとの絆、そして引退に隠された「時代の変化」という名のドラマを、一緒に紐解いていきましょう!

これを読み終える頃には、あなたもあの懐かしい重低音の響きが、耳の奥で心地よく蘇ってくるに違いありません。

【導入】浜松の街に響き渡った、あの重低音の記憶

静岡県浜松市を中心に、新浜松駅から西鹿島駅までを結ぶ遠州鉄道。
通称「遠鉄(えんてつ)」として、通勤・通学の足として毎日たくさんの人々を乗せて走っています。

その遠鉄のなかで、2010年代に入ってもひときわ異彩を放ち、絶大な人気を誇っていたのが、30形と呼ばれるグループの生き残りである「モハ25-クハ85編成(モハ25号)」でした。

昭和の雰囲気を色濃く残す赤い車体に、愛らしい2枚窓の顔立ち。
そして何と言っても、駅を出発するときに床下から響いてくる、あの絞り出すような力強いモーター音!
今の静かな電車に慣れた私たちの耳には、まるで電車自身が「今日も頑張るぞ!」と力強く叫んでいるかのように聞こえましたよね。

その姿は、鉄道ファンだけでなく、沿線で暮らすおじいちゃんやおばあちゃん、そして毎日この電車で学校に通っていた学生さんたちの心にも、深く刻まれているんですよ。

「あの赤い電車が来ると、なんだかホッとするんだよね」
そんな風に言わせる温かみが、このモハ25号にはありました。

それでは、まずは当時の彼らの素晴らしい勇姿を、貴重な映像で振り返ってみることにしましょう!
床下から響くあのダイナミックな駆動音に、ぜひ耳を澄ませてみてくださいね。

【誕生の背景】昭和53年、なぜ新しい「古い電車」が必要だったのか?

モハ25号が誕生したのは、なんと1978年(昭和53年)のことです!
この「1978年」という製造年が、実はこの車両の最大のミステリーであり、ドラマの始まりでもあるんですよ。

当時の日本は、高度経済成長期を経て、自家用車の普及(モータリゼーション)が急速に進んでいた時代でした。
地方の私鉄が次々と利用者の減少に悩まされ、廃線の危機に瀕するなか、遠州鉄道はまさに逆転の発想で立ち向かっていました。

浜松都市圏の急激な人口増加に対応するため、遠鉄は「高架化事業」や「運行本数の増加」を積極的に行い、都市型鉄道としての機能をどんどん強化していったのです。

そんななか、激増する乗客をスムーズに、かつ安全に運ぶために新しい車両が必要になりました。
そこで増備されることになったのが、1958年(昭和33年)から続く遠鉄のオリジナル形式である「30形」の追加グループでした。
その最新編成として発注されたのが、今回の主役であるモハ25号だったんですね!

しかし、ここで一つの大きな疑問が浮上します。
1978年といえば、国鉄でも私鉄でも、すでに「カルダン駆動方式」と呼ばれる、静かで振動が少なく、高速走行に適した新しい技術が当たり前になっていた時代です。
それなのに、なぜ遠州鉄道は、大正時代から続く旧式の「吊り掛け駆動方式」を採用した車両を、あえて新しく製造したのでしょうか?

実はここには、当時の遠鉄の技術者たちが下した、非常に現実的で熱い「決断」があったんですよ!

【開発秘話】あえて旧式技術を選んだ、技術者たちの現実的で熱いドラマ!

あえて「吊り掛け駆動」を選んだ理由とは?

ここでちょっとだけ、専門的な技術のお話を分かりやすく解説しますね!
電車のモーターの力を車輪に伝える方法には、大きく分けて新旧2つの方式があります。

  • 吊り掛け駆動方式(つりかけくどうほうしき):モーターを車軸に直接載せる、昔ながらの頑丈な方式。シンプルで壊れにくい反面、独特の激しい騒音と振動が発生します。
  • カルダン駆動方式:モーターを台車枠に固定し、ギヤを介して車輪を回す新しい方式。静かで滑らかに加速でき、乗り心地が良いのが特徴です。

昭和53年といえば、どの私鉄も競ってカルダン駆動の新車を導入していた時代。
そんな時代に、遠鉄の技術者さんたちが「吊り掛け駆動」を指名した理由は、決して「新しい技術を嫌ったから」ではありませんでした。
そこには、地方私鉄ならではの「究極の合理主義」「安全性へのこだわり」があったのです!

当時の遠州鉄道には、すでに多くの「30形」吊り掛け駆動車が在籍していました。
新車をカルダン駆動にしてしまうと、それまでの古い吊り掛け駆動車と連結して走ることが難しくなってしまいます。
ラッシュ時には何両も連結して走らせる必要があったため、既存の車両たちと「呼吸を合わせて走れること」が、何よりも重要だったんですよ!

さらに、当時の遠鉄の整備工場には、長年培ってきた吊り掛け駆動車のメンテナンス技術が完璧に蓄積されていました。
「慣れ親しんだ、絶対に壊れない信頼性の高い技術を使うことこそが、毎日のお客さまの安全を守る最善の策である」

技術者さんたちは、流行に流されることなく、自分たちの身の丈に合った、最も堅実で信頼できる選択をしたわけですね!
この決断によって、モハ25号は「完全新製の旅客用車両としては、日本国内の普通鉄道で最後期に作られた吊り掛け駆動車」という、歴史的な勲章を手にすることになったのです。
これって、技術者さんたちのプライドと愛情が感じられて、すごくシブくてカッコいいお話だと思いませんか?

昭和のトレンド「湘南フェイス」を守り抜いたデザインのこだわり

モハ25号の魅力といえば、その愛らしいお顔立ちも忘れてはいけませんよね!
フロントガラスが中央で2枚に分かれていて、少し傾斜がついたそのデザインは、鉄道界で「湘南フェイス(湘南型)」と呼ばれているものです。

1950年代に国鉄の80系湘南電車が大ヒットしたことで、全国の私鉄に一大ブームを巻き起こしたこのデザイン。
ですが、昭和50年代後半ともなると、他社では食パンのような平らな顔立ちの、機能性を重視した四角い電車が主流になっていました。
そんななか、遠鉄は頑なにこの「美しく、温かみのある2枚窓デザイン」を守り続けたのです。

おでこにちょこんと載った丸いヘッドライトと、ふっくらとした優美な曲線。
このクラシカルなデザインを昭和53年になっても新車に採用してくれたおかげで、私たちは平成の終わりまで、昭和の古き良き私鉄電車の面影を、浜松の街で見ることができたんですね!

当時のデザイナーさんや遠鉄の意思決定者さんたちの、美意識の高さには本当に脱帽です!

【運行時の逸話】現場の愛と、浜松の街を揺らした活躍の日々

運転士泣かせ?でも愛された、じゃじゃ馬な操作性

新車でありながら、中身は昔ながらの技術で作られたモハ25号。
実は、運転士さんたちにとっては、かなり「運転技術の差が出るじゃじゃ馬な車両」でもあったんですよ!

現在のVVVFインバータ制御の電車は、コンピュータが自動で滑らかに加速を調整してくれます。
しかし、モハ25号のような古いタイプの電車は、運転士さんが「ノッチ(車のアクセルにあたるレバー)」を手動でカチ、カチと進めながら、モーターに流れる電流を肌で感じて加速を調整しなければなりませんでした。

特に吊り掛け駆動車は、乱暴な操作をすると車体がガタガタと大きく揺れてしまい、お客さまの乗り心地に直結してしまいます。

「モハ25号を滑らかに、かつ時間通りに走らせることができて、初めて一人前の遠鉄運転士だ」
ベテラン運転士さんたちは、そんなプライドを持ってハンドルを握っていたそうです。

じゃじゃ馬だからこそ、手懐けたときの喜びもひとしおだったのでしょうね!
整備士さんたちも、引退を迎えるその日まで、ピカピカに車体を磨き上げ、オイルの匂いにまみれながら、この最後の吊り掛け車を我が子のように大切に整備し続けました。

まさに、現場のプロフェッショナルたち全員の愛によって、モハ25号は命を吹き込まれ、走り続けていたのです。

冷房化と近代化の波を乗り越えて

モハ25号が走っていた昭和から平成にかけては、鉄道車両のサービスが劇的に向上した時期でもありました。
その筆頭が「冷房装置」の搭載です。

実は、モハ25号が誕生した当初は、地方私鉄の例に漏れず、まだ冷房が付いていませんでした!
窓を全開にして、浜松の夏の風を感じながら走るのも風情がありましたが、さすがに時代の要求には勝てません。

そこで遠鉄は、後から車体に大きな冷房装置を載せる改造を行いました。
この際、重い冷房装置を屋根に載せるための補強や、電気を供給するための補助電源装置の追加など、技術者たちの涙ぐましい努力があったんですよ。

その結果、車内は涼しく快適になり、乗客にとっても「古くて懐かしいけれど、快適に移動できる最高の相棒」へと進化を遂げたのです。

【引退の背景】なぜ愛されたモハ25号は、レールを降りねばならなかったのか?

2000年代に入ると、遠州鉄道の主力は、最新のVVVFインバータ制御を採用した静かで環境に優しい「2000形」へとシフトしていきました。
気がつけば、あれほどたくさん走っていた30形仲間たちは次々と引退し、最後の1編成として残されたのが、このモハ25-クハ85編成だったのです。

晩年のモハ25号は、通常ダイヤの運行から外れ、平日のラッシュ時や、イベント時の臨時運行、貸切運行が中心の「予備車両」となっていました。
それでも、いざ本線に姿を現すと、沿線にはカメラを構えた多くのファンが集まり、その人気は衰えるどころか、年々高まる一方だったんですよ!

しかし、別れの時は突然やってきました。
2018年、遠州鉄道からモハ25号の「勇退(引退)」が正式に発表されたのです。
これには、鉄道ファンだけでなく地元浜松の人々からも、大きなため息と惜しむ声が上がりました。

では、なぜまだ元気に走ることができたモハ25号は、引退しなければならなかったのでしょうか?
そこには、主に2つの決定的な理由がありました。

まず1つ目は、言うまでもなく車体の老朽化と、それに伴う部品確保の難しさです。
大正〜昭和の技術である「吊り掛け駆動」用の部品は、すでにメーカーでの生産が終了しており、メンテナンスを続けることが極めて困難になっていたのです。

そして2つ目の理由こそが、現代の鉄道ならではの、非常に現実的な課題でした。
それは、駅ホームへの「転落防止柵(ホームドアや可動式ホーム柵)」の整備計画です。

お客さまの安全を守るために、ホームに柵を設置する動きが全国的に進んでいますよね。
この転落防止柵を設置するためには、やってくるすべての電車の「扉の位置」が、ぴったりと一致していなければなりません。

しかし、昭和の設計であるモハ25号は、平成生まれの新しい2000形とは、扉の間隔やドアの位置がわずかに異なっていたのです。
「誰にとっても安全で、バリアフリーな鉄道を目指す」という未来のステップへ進むためには、どうしてもこのドア位置の異なる古い車両の運用を終了せざるを得なかったわけですね。

安全のために生まれた電車が、さらなる安全のために席を譲る……。
この引退理由を知ると、なんだかとても切なく、そしてモハ25号の最後の仕事にふさわしい、誇らしい幕引きだったようにも思えてきませんか?

【記念運行の様子】2018年4月、ラストランに響いた拍手と涙

2018年の4月末、モハ25号の勇退を記念して、「勇退記念特別列車」が運行されました。
車体には誇らしげに特別なオリジナルヘッドマークが掲げられ、車内はこれまでの活躍を振り返る写真展仕様に!
この最後の姿を一目見ようと、地元浜松はもとより、全国各地から本当にたくさんの鉄道ファンや家族連れが駆けつけました。

駅のホームや沿線の撮影スポットは、カメラを手にした人々で埋め尽くされましたが、そこにあったのは殺伐とした雰囲気ではなく、終始あたたかい「ありがとう」の空気でした。
「子どもの頃、よくお母さんと一緒に乗ったよ」
「学生時代、この重低音を聞きながら単語帳をめくっていたな」
乗客の皆さん一人ひとりが、自分自身の青春の思い出をモハ25号の姿に重ね合わせていたのです。

ラストランの最終列車が、終着駅である西鹿島駅に到着し、ゆっくりとモーターの響きを止めたその瞬間。
ホームに集まった人々からは、割れんばかりの拍手と、温かい歓声が送られました。
「40年間、本当にお疲れさま!」「今まで安全に運んでくれて、ありがとう!」
機械であるはずの電車が、まるで一人の偉大な功労者のように見送られた、本当に感動的なラストランだったんですよ!

【今に続く価値】モハ25号が遺した「赤電」のDNA

モハ25号が引退したことで、遠州鉄道から「30形」という昭和の名形式は、完全に姿を消してしまいました。
これによって、遠鉄のすべての営業車両はカルダン駆動となり、線路際で聞かれたあの懐かしい重低音は、過去の思い出となりました。

しかし、モハ25号が遺した精神、そして技術者たちのこだわりは、今も遠鉄の中にしっかりと受け継がれています!

現在、遠州鉄道の主力として活躍している「2000形」も、実はモハ25号をはじめとする30形が築き上げた、「無駄がなく、頑丈で、毎日安全に走る」という実質本位の設計思想をしっかりと受け継いでいるんですよ。

さらに、今走っている電車たちがまとっている鮮やかな「スパニッシュレッド」の車体カラー。
これこそが、モハ25号たちが代々守り続けてきた、浜松の街に元気を与える「赤電」のシンボルカラーそのものなんです!

新しくスタイリッシュな電車が走るのを見るときも、その赤いボディを見つめれば、そこには確かにモハ25号が築いた歴史とDNAが、息づいていることを感じられますよね。

【結びと提案】机の上で蘇る、あの昭和レトロな赤い名車

いかがでしたでしょうか?
遠州鉄道モハ25号という、昭和最後期の吊り掛け駆動車が織りなした、技術者たちの情熱と時代のドラマ。
流行に流されず、ただひたすらに沿線の人々の安全と利便性を追求したその姿は、今思い返しても本当に愛おしく、誇らしいものですよね!

「あの勇姿をもう一度、目の前で見てみたい!」
「あの愛らしい湘南フェイスと、真っ赤な車体をいつでも手元に置いておきたいな」
そんな風に思ったあなたに、とっておきの楽しみ方をご提案します!

実は、この遠州鉄道30形モハ25号(モハ25-クハ85編成)は、ファンからの絶大な人気を受けて、「鉄道コレクション」などのリアルなNゲージ鉄道模型として製品化されているんですよ!
手のひらサイズに精密に再現された、あの美しい2枚窓のお顔と、鮮やかな赤い車体。
ご自宅の机の上や棚にそっと飾るだけで、そこにはいつでも、あの昭和の温かい風と、浜松の街を元気に駆け抜けた「赤電」の情景が鮮やかによみがえります。

もしあなたも、あの愛すべきラストランナーの記憶を形として残しておきたいなら、ぜひお気に入りの模型や関連グッズをチェックしてみてはいかがでしょうか?
今度はあなたが、ご自身の「マイルーム鉄路」の運転士さんになって、あの懐かしい重低音を心の中で響かせながら、モハ25号に新しい出発進行の合図を出してあげてくださいね!

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