
「かつて関西の線路を、ものすごいスピードで駆け抜けていった、あのクリーム色と茶色の電車が忘れられない!」
そんな風に、胸を熱くされている鉄道ファンの方はとても多いのではないでしょうか?
そう、今回スポットを当てるのは、国鉄が生んだ最高傑作のひとつであり、JR各社に引き継がれて愛された名車「JR117系」です!
現在では一般的な定期運用からは惜しまれつつも撤退してしまいましたが、その美しい流線形の顔立ちや、豪華な内装は今でも語り草になっています。
「どうしてあんなに豪華な近郊形電車が生まれたの?」
「国鉄らしくない、あの攻めたデザインの秘密とは一体何だったのだろう?」
そんな疑問や、あの頃の思い出をもう一度味わいたいというあなたのためのストーリーをご用意しました!
この記事を読めば、117系が誕生した激動の時代背景や、国鉄の常識に立ち向かった技術者たちの熱いドラマが手に取るように分かりますよ!
当時の鉄道マンたちが夢を託した、117系の輝かしい歴史の旅へ、出発進行です!
まずは、当時の勇姿を美麗な映像で振り返ってみましょう!
昭和の関西を駆け抜けた白い彗星!JR117系の記憶
昭和50年代の関西地区、特に東海道・山陽本線の「新快速」といえば、まさに群雄割拠のバトルフィールドでした。
並行する阪急電鉄や京阪電気鉄道、阪神電気鉄道といった関西の誇る名門私鉄たちが、こぞって豪華な無料特急を走らせていたからです。
そんな中、当時の国鉄が走らせていた新快速は、なんと急行電車の「お下がり」である153系などでした。
「国鉄の電車は遅いし、冷房もないし、座席も古くさいなぁ……」
当時のお客さんたちの本音は、お世辞にも国鉄に好意的とは言えなかったのです。
これに強い危機感を抱いたのが、大阪に拠点を置く「国鉄大阪鉄道管理局」の熱い鉄道マンたちでした。
「このままでは、関西のお客さんをすべて私鉄に奪われてしまう!」
彼らのこの強い危機感こそが、のちに伝説となる117系を生み出す原動力となったのですよ!
そうして1979年に登場したのが、これまでの国鉄の「安くて頑丈、でも無骨」というイメージを180度覆す、超ハイグレードな近郊形電車・117系でした。
まるで特急列車のような優雅なクリーム色の車体に、気品ある茶色(ぶどう色)の帯。
このシックな装いは、戦前に活躍した高貴な「急行電車」の伝統カラーを受け継いだものだったんですよ!
乗客たちはその姿を見て、「これが本当にいつもの国鉄の電車なの!?」と目を丸くしたそうです。
驚きですよね!
関西私鉄の牙城に挑む!国鉄が異例の決断を下した背景
ここで当時のライバルたちの様子をのぞいてみましょう!
関西の私鉄各社は、乗客を惹きつけるために信じられないほどのサービス合戦を繰り広げていました。
代表的なライバルたちをご紹介しますね。
- 阪急電鉄(6300系):気品あふれるマルーン色に、自動転換クロスシートを備えた「京とれいん」のご先祖様。
- 京阪電気鉄道(3000系):テレビが車内に設置された「テレビカー」で知られ、補助椅子までついた豪華仕様。
- 阪神電気鉄道:驚異的な加速力を誇る「ジェットカー」を走らせ、庶民の足をがっちりキープ。
これほどの超強力なライバルたちに囲まれて、国鉄は完全に防戦一方でした。
当時の国鉄といえば、全国一律の設計でつくられた「113系」のような、3扉でボックスシートの車両が標準でした。
どこに行っても同じ顔、同じ座席……それが「お堅い国鉄」のやり方だったのです。
しかし、それでは関西の肥えた目を持つ乗客たちを納得させることはできませんでした。
そこで、大阪の技術者たちは本社の偉い人たちに猛アピールを始めたのです!
「関西には、関西のための特別な電車が必要なんです!」
この熱意は、保守的だった国鉄本社を動かすことに成功しました。
なんと、特定の地域(京阪神地区)の競争力を高めるためだけに専用設計の車両を開発するという、当時の国鉄としては極めて異例のプロジェクトが認められたのです!
これが、117系が「国鉄の奇跡」と呼ばれるゆえんなんですよ!
常識破りの連続!技術者たちが117系に込めた執念と開発秘話
プロジェクトがスタートすると、技術者たちのアイデアがこれでもかと詰め込まれました。
彼らが目指したのは、単に新しい電車をつくることではなく、「乗った瞬間に誰もが感動する、私鉄特急以上のラグジュアリーな空間」だったのです!
まず驚くべきは、その座席のこだわりです。
なんと、すべての座席を「転換クロスシート」にしたのです!
当時の一般的な近郊形電車は、向かい合わせの狭いボックスシートが当たり前でした。
それを、進行方向に向きを変えられる、クッションの効いたふかふかのシートに統一したのですから、これだけでも大事件ですよね!
さらに驚きなのは、車内の壁面に、温かみのある「木目調」の化粧板を採用したことです。
これは当時の国鉄の通勤形・近郊形では考えられない高級ホテルや特急列車のような演出でした。
「でも、どうしてそこまでこだわったの?」と思いますよね。
実は、開発メンバーのひとりが、後にこう語っています。
「国鉄はサービスが悪いと言われ続けるのが悔しかった。私鉄のお客さんが羨ましがるような、日本一の快速電車をつくりたかったんだ」
この技術者たちのプライドが、117系の随所に息づいているのですね!
乗り心地の面でも、一切の妥協はありませんでした。
足回りには、特急形電車と同等の「DT32H(電動車)」および「TR69K(付随車)」という、極上の空気ばね台車を採用しました。
これにより、それまでのガタガタとした激しい揺れとはおさらば!
まるでじゅうたんの上を滑るような、なめらかな乗り心地を実現したのです。
さらに、新鮮な外気を取り入れる「新鮮外気取入装置」を天井に設置するなど、空気環境にまで気を配るという徹底ぶりでした!
新快速「シティーライナー」誕生!現場の熱気と想定外の苦労話
そして1980年(昭和55年)、ついに117系が新快速として営業運転を開始しました!
公募によってつけられた愛称は「シティーライナー」。
デビューするやいなや、京阪神の乗客たちの間で大フィーバーが巻き起こりました。
「今日の新快速はあの新しい白い電車かな?」と、わざわざ117系を待って乗る人も続出したほどなんですよ!
しかし、あまりの超人気ぶりに、現場の運転士や駅員さんたちは別の悩みを抱えることになりました。
なぜなら、117系は快適性を重視するあまり、ドアの数を「片側2箇所」に減らしていたからです。
これ、空いている時間帯なら最高のレイアウトなのですが、通勤ラッシュ時になると大問題になりますよね!
2つしかないドアに乗客が殺到し、乗り降りに時間がかかってダイヤが乱れそうになるという、嬉しい悲鳴にして最大の弱点が露呈してしまったのです。
それでも、現場の運転士さんたちはプロフェッショナルの意地を見せました。
117系の性能を限界まで引き出し、最高速度110km/hでの爆走を続けながら、並行する私鉄特急を次々と追い抜いていきました。
並行する線路を走る阪急や京阪の車窓から、117系がスーッと追い越していく瞬間は、国鉄の運転士さんたちにとって「これ以上ない快感だった」そうです!
まさに、私鉄へのリベンジを見事に果たした瞬間でしたね!
東海と西日本で分かれた運命!民営化後の117系ストーリー
1987年、国鉄はついに分割民営化を迎え、117系たちも新しい引き取り手へと運命を託されることになります。
製造された全216両のうち、72両がJR東海に、144両がJR西日本にそれぞれ引き継がれました。
ここから、117系はそれぞれの地域で独自の進化を遂げていくことになります!
JR東海:名鉄とのデッドヒートと引き際
JR東海に引き継がれた117系は、名古屋地区の東海道本線に投入されました。
ここでの最大のライバルは、もちろん名古屋鉄道(名鉄)です!
名鉄の看板列車である「パノラマカー」に対抗するため、117系は快速や新快速として大車輪の活躍を見せました。
しかし、JR東海はその後、超ハイスペックな後継車である313系などを怒涛の勢いで投入していきます。
高速化の波に押され、117系は徐々に活躍の場を狭め、2013年春にはイベント用車両を除いて営業運転から完全に撤退してしまいました。
少し寂しい気もしますが、限られた時間の中で名鉄と互角以上に渡り合った姿は、名古屋のファンの心に今も深く刻まれています!
JR西日本:広大なネットワークへの転身と愛された晩年
一方、本家本元であるJR西日本に引き継がれた117系たちは、さらに長いドラマを紡ぐことになります。
京阪神の新快速としての役目は、のちに登場した221系や223系といった快速スターたちに譲ることになりましたが、彼らの頑丈で豪華な車体はまだまだ現役でした!
117系は関西のあちこちのローカル線へと活躍の場を移します。
これまでに転用された線区を挙げてみると、本当にバリエーション豊かです!
- 湖西線・草津線(おなじみの緑色、通称「抹茶色」となって山や湖をバックに力走)
- 和歌山線・紀勢本線(オーシャンブルーに身を包み、太平洋の風を受けて快走)
- 山陽本線・岡山地区(マスカットを思わせる鮮やかな黄色、通称「末期色」となって活躍)
- 福知山線や奈良線など
地域に合わせてボディカラーを塗り替えながら、おじいちゃん世代のベテランになっても、地元の通勤・通学の足として優しく人々を運び続けました。
しかし、そんなタフな117系にもついに「その時」が近づいてきます。
老朽化には勝てず、2019年には和歌山地区から引退。
そして2023年4月1日には京都地区での定期運用が終了し、さらに同年7月21日には岡山地区での定期運用も終了。
これにより、惜しまれつつも一般的な通勤・近郊型の定期運用からはすべての車両が引退することとなったのです。
最後まで見守ったファンからは、「本当にお疲れ様!」と温かい拍手が送られました。
奇跡の復活劇!「WEST EXPRESS 銀河」へと受け継がれたDNA
「えっ、じゃあもうあの素晴らしい117系には二度と乗れないの?」
そうがっかりしてしまった、そこのあなた!
実は、ここからがJR西日本の本当に粋な、そして驚くべきウルトラCの物語なんです!
なんと、JR西日本は残された117系の中から選りすぐりの編成を選び出し、まったく新しいコンセプトの長距離観光夜行列車へと大改造したのです!
それが、現在も大人気の「WEST EXPRESS 銀河(ウエストエクスプレスぎんが)」です!
これ、すごくワクワクする展開ですよね!
かつて関西を爆走した新快速が、令和の時代にシックな瑠璃紺(るりこん)色のボディを身にまとい、夜空を駆けるロマンチックな列車として蘇ったのですよ!
車内は、往年の117系の堅牢な骨組みを活かしつつ、以下のようなラグジュアリーな空間に生まれ変わりました。
- ファーストシート:2人でゆったり過ごせる、グリーン個室のような可変型シート。
- クシェット:まるで夜行寝台列車のような、ゴロリと横になれる簡易寝台風スペース。
- フリースペース「遊星(ゆうせい)」:乗客同士が語り合える、おしゃれなラウンジ。
国鉄時代の名残である117系の面影をどこかに残しながら、誰もが憧れる最高のご褒美列車として活躍しているなんて、まさに奇跡の延命措置ではないでしょうか?
設計した技術者たちも、まさか自分たちがつくった快速電車が、40年以上の時を経てこんなにおしゃれな夜行特急になるなんて、夢にも思わなかったでしょうね!
あなたの机の上に「シティーライナー」を!鉄道模型で蘇る青春
さて、ここまで117系のドラマチックな一生をご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?
私鉄キラーとして牙を剥いた全盛期から、地域に愛されたローカル線時代、そして美しい「銀河」としての第二の人生……。
どの時代の117系も、それぞれ異なる魅力にあふれていますよね!
「あの頃走っていた、輝かしい117系をもう一度この手で走らせてみたい!」
そんなふうに思われたなら、鉄道模型(Nゲージ)の世界で、お部屋の中にあなただけの「新快速」を復活させてみるのはいかがでしょうか?
現在、KATO(カトー)やTOMIX(トミックス)といった主要な模型メーカーから、極めて精巧に再現された117系のプラスチックモデルが多数発売されています。
あの美しいクリーム色の塗装はもちろん、特徴的な4灯のヘッドライト、そして木目調の車内までもが、手のひらサイズで完璧に再現されているんですよ!
「シティーライナー」の6両編成をお部屋の線路に乗せて、コントローラーのダイヤルを回せば、耳の奥にかの有名な「MT54形モーター」の唸り音が蘇ってくること間違いなしです!
また、実物に会いに行きたい方は、愛知県名古屋市にある「リニア・鉄道館」を訪れてみるのもおすすめです!
JR東海で大活躍した117系が大切に保存されており、その凛々しいお顔を間近で見学することができますよ。
いつの時代も、私たち乗客のために全力を尽くして走り続けた「JR117系」。
その偉大な足跡と、関西私鉄に挑んだ熱い魂は、これからも私たちの心の中で永遠に走り続けることでしょう!
次に旅に出るときは、ぜひ「WEST EXPRESS 銀河」のチケットを手に、117系の新しい鼓動を感じてみてくださいね!