
新宿から箱根へと向かうお馴染みの赤い特急。 みなさんは「小田急ロマンスカー」と聞くと、どんな姿を思い浮かべますか?
おそらく、多くの人が「先頭に広がる大きな展望席」や「車体と車体の間に台車がある連接構造」をイメージするのではないでしょうか。
しかし、そんなロマンスカーのきらびやかな歴史の中で、「展望席も連接構造も持たないロマンスカー」が存在したことをご存じですか?
それこそが、今回ご紹介する小田急20000形「RSE」なんです!
1991年にデビューし、2012年までのわずか21年間という、特急車両としては少し短命な生涯を駆け抜けたこの車両。
実は、歴代ロマンスカーの中でも屈指のドラマと、技術者たちの熱い想いが秘められた「異端にして至高の名車」だったんですよ。
「なぜ、伝統の展望席を諦めなければならなかったのか?」 「なぜ、小田急初の2階建て車両が誕生したのか?」
今回は、そんなRSEにまつわる数々の知られざるエピソードを、当時の時代背景とともに紐解いていきましょう!
この記事を読み終える頃には、ロマンスカーミュージアムに佇む彼らの姿や、富士急行で第二の人生を送る彼らの姿が、きっと違った景色に見えてくるはずですよ。
それでは、あの懐かしいバブルの熱気と、技術者たちが夢見たリゾート特急の世界へ一緒に出発しましょう!
まずは、当時の美しくも力強い走行シーンを映像で振り返って、あの興奮を呼び起こしてみませんか? こちらの動画で、御殿場線の大自然を軽快に駆け抜けるRSEの勇姿をぜひご覧ください!
「あさぎり」の危機を救え!急行から特急への格上げとSSEの限界
物語の始まりは、1980年代後半にまで遡ります。
当時、小田急電鉄とJR東海(当時は国鉄から民営化したばかりの時期でしたね)は、新宿から御殿場線へと直通する連絡急行「あさぎり」を共同で運行していました。
この時、直通運転に使われていたのが、かつて超軽量・高速車両として日本中に旋風を巻き起こした初代ロマンスカー、3000形「SSE」だったんです。
かつて新幹線開発の礎にもなった伝説のSSE。 しかし、1980年代末期ともなると、さすがに老朽化が隠せなくなっていました。
冷房装置や足回りのガタツキ、そして何よりも当時の観光客が求める「お洒落で快適な移動空間」というバブル期のニーズに対し、昭和30年代生まれのSSEはあまりにも手狭で古びてしまっていたのです。
乗客からは「せっかくの旅行なのに、ちょっと窮屈だな……」という声も聞かれるようになっていました。
さらに、もう一つの大きな課題がありました。 それは、直通運転の区間が「新宿〜御殿場」という比較的短い区間に留まっていたことです。
当時の静岡県東部エリア、特に沼津や三島、そして富士山麓周辺は、ビジネスや観光の需要が右肩上がりで急増していました。
「このままでは、自家用車や高速バスに大切なお客さんを奪われてしまう!」という強い危機感が、小田急とJR東海の双方に芽生えていたのですね。
そこで両社が下した決断、それこそが「連絡急行『あさぎり』を特急に格上げし、運行区間を沼津まで一気に延伸する」という壮大なプロジェクトでした!
沼津延伸となれば、走行距離も一気に伸び、乗車時間も長くなります。 となれば、当然ながらSSEに代わる「まったく新しい、次世代のフラッグシップ車両」が必要不可欠となりますよね。
こうして、小田急20000形RSEの開発プロジェクトが本格的に始動することになったのです。
ロマンスカーの魂を捨てる?開発陣を悩ませた「JR直通の壁」
「新しい特急車両を作るぞ!」と意気込む小田急の開発陣。 しかし、ここで最大の壁が立ちはだかりました。 それこそが、JR東海との「相互直通運転」における非常に厳しい仕様のルールだったのです。
それまでの「あさぎり」は、小田急の車両がJR線に一方的に片乗り入れする形式でした。 しかし、今回の特急格上げ・沼津延伸にあたっては、お互いの車両が相手の路線に乗り入れる「相互直通運転」を行うことが基本合意されたのです。
これに伴い、JR東海側も新しい特急車両である「371系」を開発することになりました。
ここで交わされた「直通協定」には、安全運行や効率的な運用のために、極力両社の車両スペックを合わせるという取り決めが含まれていました。 これが、小田急の開発者たちに「究極の選択」を迫ることになるのです。
小田急ロマンスカーのアイデンティティといえば、やはり先頭車の「展望席」と、車体間を1つの台車で繋ぐ「連接構造」ですよね。開発陣としては、当然これらを盛り込んだ車両にしたかったはずです。
しかし、JR線の過酷な運行環境や、万が一の事故の際の救助・復旧体制、そしてJR側が開発する371系との仕様統一を考えると、これらを採用することは極めて困難でした。
- 連接台車はメンテナンスが特殊すぎる:JR東海の整備工場には、連接車両を保守するための設備がありません。
- 展望席は安全基準と運転士の視界確保が両立しにくい:JR東海の高速走行基準や踏切事故対策を考慮すると、高い安全性を確保するために前面展望の設置は認められにくかったのです。
- 車体長の問題:ロマンスカーの多くは1車体あたり12m〜16mと短い連接車でしたが、JR線内を走るには一般的な20m級ボギー車(車体の前後に台車がある、いわゆる「普通の電車」の構造ですね)でなければ、駅のホームドアや信号システムに適合しにくいという現実がありました。
「連接構造も展望席もない車両なんて、本当にロマンスカーと呼べるのだろうか?」 社内でも、激しい葛藤と議論が巻き起こったとされています。
ロマンスカーの伝統を守りたい。 しかし、JR直通という未来の可能性を切り拓くためには、その伝統を一度脇に置かなければならない。 このピンチをチャンスに変えるため、技術者たちはある素晴らしいアイデアを思いつくことになります!
「伝統的な形は諦めよう。その代わり、これまでにない『新しいリゾートの価値』をぎっしり詰め込んだ、誰もが驚くような最高にゴージャスなロマンスカーを作ってみせる!」
この強い決意から、RSEのもう一つの名前「Resort Super Express」が誕生したのですね。
本当に、当時の開発者たちの情熱と、柔軟な発想の転換には頭が下がる思いですよね!
驚きの連続!バブルが生んだ「RSE」の超豪華スペック
そうして1991年に産声を上げた小田急20000形「RSE」は、当時の誰もが驚くような、圧倒的に華やかで近未来的な姿をしていました。
白ベースの車体に、淡いピンク(ピーチブロッサム)とブルー(コスモスブルー)をあしらった気品あるカラーリング。
それは、それまでの渋いバーミリオンオレンジのロマンスカーとは一線を画す、爽やかな富士山の風を感じさせるデザインだったのですよ。
そして何より、乗客を最も興奮させたのが、小田急初の「ダブルデッカー(2階建て車両)」の導入でした!
7両編成のうち、中間にある2両(3号車と4号車)が堂々たる2階建て車両として設計されたのです。 これ、当時の鉄道ファンのみならず、旅行客の間でもものすごいインパクトでしたよね!
では、その豪華すぎる車内の様子を詳しく見ていきましょう!
① 優雅な眺望を約束する「2階席:スーパーシート」
2階建て車両の2階部分は、小田急ロマンスカーとしては初となる「スーパーシート(JRでいうグリーン車に相当します)」が配置されました。
1列にわずか3席(2人掛け+1人掛け)という、今では考えられないほどゆったりとした独立シートが並んでいたんですよ。
高い視点から見下ろす相模平野や、御殿場線の車窓から迫り来る雄大な富士山の景色は、まさに特等席!
シートの座り心地も抜群で、重厚なモケットに包まれて移動する時間は、まさに至福のひとときでした。
② 秘密基地のようなワクワク感「1階席:セミコンパートメント」
そして、2階建て車両の1階部分には、これまたロマンスカー史上初となる「セミコンパートメント(個室風座席)」が用意されました!
4人掛けのボックス席がガラスの仕切りで区切られており、中央には大きな天然木風のテーブルが鎮座していました。
気の合う仲間や家族連れで、周りを気にせずワイワイとおしゃべりしながら旅を楽しめるこの空間は、バブル期のリゾート志向を象徴する素晴らしい設備でしたね。
「いつかはあの個室で、ビールを飲みながら富士山を眺めたいな……」と憧れたお父さんたちも多かったのではないでしょうか?
③ ハイデッカー構造が生み出す、流れるようなパノラマ
2階建て車両以外の一般車(平屋車両)も、ただの普通車ではありませんでした。実は、床を通常より一段高くした「ハイデッカー構造」を採用していたんです!
これによって、どの席に座っても窓の外の邪魔な遮蔽物が目に入りにくく、まるで映画のスクリーンを見るように流れる車窓を楽しむことができました。
さらに、大きな側面窓が斜め上方にまで回り込むようなデザインになっており、車内は常に明るい光に満ち溢れていたんですよ。
どうですか? 展望席がなくても、乗客を飽きさせないどころか、それ以上に「乗ること自体がイベントになる」ような素晴らしい工夫がこれでもかと詰め込まれていたのですね!
まさに、技術者たちの執念と、当時の豊かな時代が生み出した「奇跡の空間」だったと言えるでしょう。
現場の汗と涙!御殿場線の急勾配に挑んだRSEのメカニズム
見た目は極めて華やかなRSEですが、実はその裏側、つまり「走り」のシステムにおいては、非常にストイックで堅実な設計がなされていました。
これ、実は御殿場線という路線の「過酷な環境」を生き抜くための、技術者たちの極めて現実的な計算の賜物だったんですよ。
御殿場線は、かつて東海道本線の一部だった歴史ある路線ですが、箱根の山を迂回するために、最大で25パーミル(1000m進むごとに25m高くなる)という、鉄道にとっては非常に険しい急勾配が連続する山岳路線でもあるのです。 ここを観光特急として、静かに、そして力強く登り切らなければなりません。
小田急電鉄は、この過酷な路線を走破するため、あえて当時の最先端技術だった「VVVFインバータ制御」ではなく、実績と信頼性のある「抵抗制御(界磁吸収制御・発電ブレーキ付き)」を採用しました。
「えっ、1991年デビューなのに、もう古い技術を使っていたの?」と思われるかもしれませんね。 しかし、これには以下のような深い理由があったとされています。
- 過酷な坂道での確実なブレーキ:長い下り坂を安全に下るため、電力を熱に換えて確実に速度を落とす「発電ブレーキ」の信頼性を最優先したこと。
- JR東海の371系との協調・性能統一:相互直通運転を行うため、相手の車両と加速力やブレーキ性能を完全に一致させる必要がありました。実績のあるシステムにすることで、万が一の故障時にも、お互いの乗務員や整備士が迅速に対処できるようにしたのです。
一見すると保守的なシステムですが、だからこそRSEは、激しい冬の箱根の寒風や、御殿場線の険しい峠道を、一度も大きなトラブルを起こすことなく、毎日淡々と走り続けることができたのです。
華やかなドレスの下に、強靭なアスリートの肉体を隠し持っていたようなものですね。
本当に、技術者たちの「何があっても乗客を安全に送り届ける」というプロ意識が伝わってくるエピソードだと思いませんか?
わずか21年での幕引き……RSEが「短命」で引退した、知られざる2つのワケ
多くのファンや観光客に愛され、順風満帆に見えたRSE。 しかし、2012年3月、突如としてその引退の時が訪れてしまいます。
営業運転開始からわずか21年。 一般的な鉄道車両が30年から40年、リニューアルを重ねながら活躍することを考えると、これは非常に短い寿命(短命)でした。
なぜ、これほど人気があった名車が、これほど早く表舞台から去らねばならなかったのでしょうか? そこには、時代の大きな変化と、避けては通れない「時代の要請」がありました。
原因その①:時代の正義「バリアフリー法」の壁
2000年代に入ると、社会全体で高齢者や障害を持つ方々が、不自由なく公共交通機関を利用できるようにするための「バリアフリー」の意識が急速に高まりました。
そして2006年、いわゆる「バリアフリー新法」が施行されます。 これに伴い、鉄道車両にも車椅子スペースの設置や、段差のない乗降口が強く求められるようになったのです。
ここで、RSE最大の魅力であった「ハイデッカー構造」と「2階建て車両」が、裏目に出てしまうことになります。
車内を移動するには、どうしても数段の階段を登り降りしなければならない構造だったため、車椅子を利用されるお客様が乗車することが極めて難しかったのですね。
小田急電鉄でも、バリアフリー対応へのリニューアル改造が検討されたとされています。
しかし、2階建て車両や床の高いハイデッカー車をフラットなバリアフリー構造に作り直すには、車体の骨組みから改造しなければならず、新車を1から作るのと変わらないほどの莫大なコストがかかることが判明したのです。
原因その②:相棒「371系」の引退と、御殿場線直通の縮小
もう一つの理由は、共に歩んできたJR東海の相棒「371系」との関係、そして「あさぎり」自体の利用状況の変化でした。
2000年代後半になると、東名高速道路を走る高速バスとの競争がさらに激化し、沼津延伸による利用客数は少しずつ減少傾向にありました。
また、JR東海側の371系も同様に老朽化が進んでおり、JR側から「371系でのあさぎり運行を終了したい」という申し入れがあったとされています。
共通仕様で走っていた相棒が引退するとなれば、小田急RSEだけで運用を維持することは、コスト面でもダイヤ面でも極めて難しくなります。
こうして小田急は、あさぎりの運行区間を再び「新宿〜御殿場」へと短縮し、使用車両をバリアフリーに対応した最新鋭のマルチシートロマンスカー「60000形MSE」に置き換える決断を下しました。
時代の波に乗り、時代の夢を体現したRSEは、奇しくも「時代が求める優しさ(バリアフリー)」という新しい価値観の中で、その役目を終えることになったのです。
非常に寂しい結末ではありますが、これもまた、時代の最先端を走り続けた特急車両が背負うべき「宿命」だったのかもしれませんね。
引退後の軌跡:富士山麓への帰還とミュージアムでの永久保存
しかし!ドラマはここで終わりではありません。 引退後、RSEを愛する多くの人々の想いが、彼らに新しい奇跡のステージを用意したのです!
なんと、7両編成のうちの3両が、山梨県の「富士急行(現在は富士山麓電気鉄道)」へと譲渡されることが決定しました。
余計な中間車を取り除き、3両編成にギュッと凝縮された彼らは、「富士山麓電気鉄道8000系・フジサン特急」として、再び富士山の麓を走るという第二の人生(車生?)を手に入れたのです!
かつてあさぎりとして、静岡県側から富士山を眺めていたRSEが、今度は山梨県側から富士山を仰ぎ見る形で走り続ける。 これって、ものすごくロマンチックで素敵なストーリーだと思いませんか?
現在もなお、カラフルで可愛いキャラクターたちのラッピングを全身に施され、元気に観光客を乗せて大活躍しているんですよ。
さらに、小田急電鉄に残された先頭車と2階建て車両の一部は、海老名駅隣接の「ロマンスカーミュージアム」にて、ピカピカに磨き上げられた状態で大切に保存・展示されています。
歴代の「展望席付き」ロマンスカーたちと肩を並べながら、「僕もロマンスカーの歴史を支えたんだよ」と言わんばかりに胸を張って並ぶRSEの姿は、訪れる多くの家族連れや鉄道ファンの心を今も温めてくれています。
歴史を感じる楽しみ:あなたのお部屋に「あさぎり」の奇跡を再現してみませんか?
ここまで小田急20000形RSEの、波乱万丈で情熱的な歴史をご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?
伝統を捨てるという「技術者の決断」があったからこそ、私たちは2階建てという「新しい夢」を見ることができた。 その物語を知ると、RSEという車両がますます愛おしくなってきますよね!
「あの頃のあさぎり号に、もう一度会いたいな……」 そんな風に思ったあなたに、ぜひおすすめしたい楽しみ方があります!
それこそが、鉄道模型(Nゲージ)で、あの懐かしい1990年代の黄金期をお手元に再現することです。
例えば、模型メーカーの「マイクロエース」や「TOMIX」からは、小田急20000形RSEの美しいNゲージ模型がリリースされています。 あの特徴的なピーチブロッサムとコスモスブルーの淡いストライプ、そして誇らしげにそびえ立つ中間2階建て車両が見事に再現されているんですよ。
デスクトップの小さなレールの上にRSEを置き、あの頃の想い出に浸りながら走らせてみる。 さらには、並行して走っていたJR東海の371系や、かつて先代として活躍したSSE車を隣に並べてみる……。 それだけで、あなたのお部屋は一瞬にして、あの活気あふれる1991年の小田急線、そして御殿場線へとタイムスリップします!
ぜひ、あなたもRSEの模型を手に取って、技術者たちが夢見た「Resort Super Express」の熱いドラマを、その手で感じてみてくださいね。
本日も「鉄道・逸話探訪」にお越しいただき、ありがとうございました。 また次回の「失われし名車のなぜ?」でお会いしましょう!