
みなさんは、子どもの頃の修学旅行や遠足で、どんな電車に乗りましたか?
関西や中京地区にお住まいの方なら、「あの白地に青いラインの、さわやかな電車に乗ったよ!」という思い出があるかもしれませんね!
そう、今回スポットを当てるのは、多くの人々の特別な思い出を乗せて走り続けた、近鉄の伝説的な名車です。
その名も、近鉄18200系「あおぞら」(のちに「あおぞらII」)!
実はこの車両、最初から団体専用列車として生まれたわけではないんですよ。
もともとは、京都と伊勢を結ぶために、数々の過酷な技術的ハードルを乗り越えて誕生した、超エリートな「京都線専用特急車」だったのです!
今回は、そんな近鉄18200系の知られざる開発ドラマや、特急から団体列車へと姿を変えた波乱の歴史に迫ります。
当時の技術者たちが流した汗、そして車内に響いていた子どもたちの歓声に思いを馳せてみましょう!
それではさっそく、当時の懐かしい姿を映像で振り返りながら、旅を始めてみませんか?
京都と伊勢を結びたい!立ちはだかる「2つの大きな壁」とは?
昭和40年代前半、日本は高度経済成長期の真っ只中にありました。
当時の近畿日本鉄道(近鉄)さんにとって、一大観光地である「伊勢志摩」への観光輸送をさらに強化することは、とても重要なミッションだったのです!
そこで持ち上がったのが、「京都から伊勢志摩へ直通する特急を走らせよう!」という壮大なプロジェクト(京伊特急計画)でした。
「直通特急を走らせるなんて、線路が繋がっているなら簡単じゃないの?」と思うかもしれませんよね。
ところが当時の近鉄京都線と橿原線(かしはらせん)には、他線区(大阪線や名古屋線)と直通するのを阻む、極めてやっかいな「2つの大きな壁」が立ちふさがっていたのです!
これには、当時の技術者たちも頭を抱えてしまいました。
その壁の1つ目が、京都線・橿原線の「架線電圧(がせんでんあつ)が600Vだったこと」です!
近鉄のメインルートである大阪線などは、早くから強力な1500V(ボルト)で電化されていました。
しかし、京都線系統は昔ながらの低い600Vのままだったため、そのままでは大阪線の特急電車が京都に入ることができなかったのです。
そして2つ目の壁が、もっと深刻でした。それが「車両限界(しゃりょうげんかい)」の狭さです!
車両限界とは、トンネルやプラットホーム、架線柱などの構造物にぶつからない、車両の「最大の大きさ」のルールのこと。
当時の京都線や橿原線は、大阪線に比べてこの制限がとても厳しく、スリムな中型車しか通ることができませんでした。
具体的には、大阪線の標準車体が幅約2.7〜2.8メートルだったのに対し、京都線はなんと「2.59メートル」という細身の車体しか許されていなかったのです!
つまり、大阪線の広くてパワフルな特急車は、京都線には物理的に入れないということですよね!
京都からお伊勢さんへ、乗り換えなしでスイスイ行ける快適な特急を作りたい……。
この夢を実現するために、1966年(昭和41年)に急ピッチで開発されたのが、今回の主役である「近鉄18200系」だったのです!
技術者たちの意地!「狭幅・複電圧」に挑んだ奇跡の設計
京都線と伊勢の路線、この異なる環境を1台で走り抜けるためには、どうすれば良いのでしょうか?
当時の近鉄技術陣が導き出した答えは、「スリムな車体に、2つの電圧に対応できる超高機能な装置を詰め込む」という、まさにウルトラCの解決策でした!
これが、鉄道ファンの間で今も語り継がれる「複電圧車(ふくでんあつしゃ)」の誕生劇です。
技術者たちの最大のこだわりは、やはり車体のスリム化でした。
車体幅は、最も狭い場所の制限に合わせた「2,590ミリメートル」で設計されています。
これは、当時の近鉄特急としてはギリギリの細さでした。
でも、外見がスリムだからといって、車内が狭くて窮屈だったら、せっかくの特急の旅が台無しになってしまいますよね?
そこで近鉄さんは、驚くべき工夫を凝らしました!
車体の裾(足元)を少しだけ絞り込んで、ホームにぶつからないように工夫しつつ、乗客が座る部分の空間をできるだけ広く確保したのです。
さらに、窓の大きさやシートの配置をミリ単位で調整し、狭さを感じさせない開放的なインテリアを実現しました。
この絶妙なパッケージングは、まさに「職人技」と言っても過言ではありません!
また、電気的な仕組みも驚異的でした。
京都線の「600V」区間から、大阪線の「1500V」区間へ入る際、走行しながら自動的に電圧の回路を切り替えるシステムを搭載したのです!
これを「複電圧対応」と呼びますが、このシステムを車体に載せるためには、重くて複雑な機器をたくさん床下に配置しなければなりません。
スリムで軽い車体に、重いハイテク機器を満載する……これは当時の技術者にとって、非常に過酷な引き算と足し算の連続だったそうですよ。
こうして1966年、ついに2両編成が5本、合計10両の18200系が誕生しました!
京都線系統としては、記念すべき「初めての完全新製特急車」の誕生です!
この細身でシュッとした、それでいて高性能な18200系が京都駅に現れたとき、沿線の鉄道ファンは大いに沸き立ったそうですよ!
京伊特急のパイオニア!現場の苦労と栄光の日々
無事にデビューを果たした18200系は、京都〜宇治山田(のちに鳥羽や賢島まで延伸)を結ぶ「京伊特急」の主力として、大活躍を始めます!
それまで京都から伊勢へ行くには、何度も乗り換えが必要で時間がかかっていましたが、この電車の登場によって、一本の列車で快適に行けるようになったのです。
これは京都の人々、そして沿線の人々にとって、ものすごく画期的なことでした!
しかし、運行を開始してからの運転士さんやメンテナンス担当者さんの苦労は、並大抵のものではありませんでした。
実は、京都線・橿原線の電圧が1500Vに昇圧(しょうあつ:電圧を上げること)されたのは、1969年(昭和44年)のこと。
つまり、デビューしてからの最初の数年間は、毎日毎日、走っている途中で電気の切り替えを行っていたのです!
切り替えポイントを通過する際、車内の照明が一瞬フッと暗くなったり、エアコンの音が変わったりしたのを覚えているベテランファンの方もいらっしゃるのではないでしょうか?
「無事に電気が切り替わるか……」と、運転席では毎回、手に汗握る緊張感があったと言われています。
そうした現場のプロフェッショナルな支えがあってこそ、安全で快適な旅が守られていたのですね!
さらに、京都線特急の人気は高まる一方で、18200系はすぐに「うれしい悲鳴」に直面することになります。
その細身の車体ゆえに、大阪線用の大型特急車と比べて「座席数が少ない」という、避けては通れない弱点があったのです!
観光シーズンともなると、切符はすぐに売り切れ。
そこで近鉄さんは、この18200系をベースにしながら、さらにパワーアップした18400系(通称:ミニスナックカー)などを増発していくことになります。
18200系はまさに、京都線の特急網をゼロから築き上げた「偉大なる先駆者」だったのですね!
運命の転身!初代「あおぞら」からバトンを受け継ぎし者
時は流れ、昭和から平成へと移り変わる1980年代後半。
京都線も1500Vへの昇圧が完了し、新型の大型特急車がどんどん入線できるようになると、中型車体の18200系は特急の第一線から少しずつ退いていきました。
「これでこの名車も、ついに役目を終えて引退なのかな……」
多くの鉄道ファンがそう寂しがっていたとき、近鉄さんはなんと、この車両に「第2の輝かしいステージ」を用意したのです!
当時、近鉄には「修学旅行専用列車」として大活躍していた名車がいました。
それが、1962年に誕生した20100系「初代あおぞら」です!
なんとこの電車、世界で初めての「オール2階建て」という信じられないような超豪華構造で、伊勢志摩へ向かう小学生たちのあこがれの的でした。
しかし、そんな初代「あおぞら」も誕生から四半世紀が経過し、老朽化が進んでいました。
さらに当時は「冷房がない(非冷房)」という大きな問題を抱えていたのです。
昭和から平成へと時代が変わる中、「夏の修学旅行で冷房がないのは、子どもたちが可哀想だ」という声が高まるのは当然の流れでした。
そこで近鉄さんが白羽の矢を立てたのが、特急の運用から外れつつあった、冷房完備の18200系だったのです!
1989年(平成元年)、初代「あおぞら」が惜しまれつつ引退するのと入れ替わりで、18200系を大改造した新しい団体専用列車がデビューしました。
それこそが、今回の本題でもある「あおぞらII」です!
「豪華な2階建ての初代」から「スマートな平屋のあおぞらII」への交代は、当時の子どもたちにとっては、少し不思議な感覚だったかもしれませんね。
しかし、あの白地に明るいブルー、そして太陽をイメージした真っ赤な丸いヘッドマークが取り付けられた姿は、とても新鮮でさわやかでした!
「冷房が効いていて涼しい!」「シートがフカフカで気持ちいい!」と、修学旅行生たちにも大好評で迎えられたんですよ!
子どもたちの笑顔を乗せて!「あおぞらII」の輝かしい運行スタイル
「あおぞらII」として生まれ変わった18200系は、それまでの2両編成から、中間車(運転台のない車両)を改造して組み込んだ、使い勝手の良い編成へと組み替えられました。
具体的には、4両編成が2本、2両編成が1本の、合計10両の布陣です。
これにより、大きなお学校の修学旅行のときは、いくつかの編成を連結して長い6両編成や8両編成で走り、小さなお学校のときは2両でトコトコ走る、という柔軟な運用が可能になりました!
当時の「あおぞらII」の活躍ぶりは、本当に凄まじいものでした。
春や秋の修学旅行シーズンになると、毎日のように大阪や名古屋、京都といった大都市から、伊勢志摩を目指してフル稼働!
年間でなんと15万人以上の子どもたちを運んでいたと言われています。
これって、とんでもない数字ですよね!
車内では、先生によるレクリエーションが行われたり、トランプやゲームで大盛り上がりしたり!
おやつをみんなで分け合って食べる、あのワクワクした空間の中心に、いつもこの18200系がいました。
元は静かで大人な雰囲気が漂う「有料特急車」だった車両が、今度は子どもたちの賑やかな笑い声で満たされる……。
車両にとっては、これ以上ないほど幸せな「第二の人生(車生)」だったのではないでしょうか?
また、修学旅行だけでなく、地域の子供会や、大人の団体旅行、鉄道ファンのイベント列車としても大活躍!
近鉄の線路がある場所なら、どこへでも顔を出す「親しみやすさナンバーワン」のネームトレインとして、沿線の人々に深く愛され続けたのです。
そして次代へ。15200系へのバトンタッチと引退
長年にわたり、子どもたちの思い出を乗せて走り続けた18200系「あおぞらII」ですが、やはり「時代の変化」という波が再び押し寄せてきました。
2000年代に入ると、車両の老朽化がかなり深刻になってきたのです。
特急時代から数えると、すでに誕生から40年近くが経過していました。
さらに、いくつか解決しなければならない技術的な課題も出てきました。
- 最高速度が110km/hに制限されていたこと(当時の近鉄特急は120km/h運転が主流になり、ダイヤに影響が出やすくなっていました)
- 中型車体(狭幅)のため、車内の座席数が少なく、団体輸送での定員確保が難しかったこと
- 座席が昔ながらの固定式や簡易な回転シートで、現代の乗り心地としては少し物足りなくなっていたこと
これらを満たす新しい「あおぞら」が求められるようになったのです。
そこで2005年(平成17年)、ついに後継車となる15200系「新あおぞらII」が登場しました!
こちらは、かつて近鉄の主役特急として名高かった「12200系(新スナックカー)」を贅沢に改造した車両です。
最高速度は120km/hにアップし、座席はゆったりとしたリクライニングシート、洋式トイレや全面禁煙化など、現代の特急と全く遜色ない豪華仕様になりました!
これに伴い、18200系「あおぞらII」は2005年末から順次、後輩たちに道を譲る形で運用を離脱していきました。
そして2006年(平成18年)までに、すべての車両が惜しまれつつも引退、廃車となりました。
実車はもう残っていませんが、あの時、車窓から見た伊勢の海や、友達と語り合ったきらめくような時間は、乗車したすべての人々の心の中に、今も大切にしまわれているはずです!
あの輝きを手元で再現!模型で蘇る「あおぞら」の想い出
実車にはもう会えなくなってしまいましたが、私たちには「鉄道模型(Nゲージ)」という、もうひとつの素敵な楽しみ方がありますよね!
実はこの近鉄18200系「あおぞらII」や特急時代の姿は、マイクロエース(MICRO ACE)さんやグリーンマックス(GREENMAX)さんといったメーカーから、ハイクオリティなNゲージとして製品化されているんです!
あの特徴的な細身の車体や、さわやかな「青と白」のあおぞらIIカラーが、机の上で実車さながらに再現されます。
ライトを輝かせながら、お気に入りのレイアウトを走る姿を見ていると、当時の楽しかった修学旅行の興奮や、伊勢志摩への旅の記憶が、昨日のことのように鮮やかによみがえってきますよね!
特急時代のオレンジと紺の「近鉄特急色」と、改造後の「あおぞらII色」を並べて、時代の変化をコレクションするのも本当に贅沢な楽しみです。
「あの頃の思い出の車両を、もう一度手元に置きたいな」と思ったあなたは、ぜひネットショップや中古模型店、ホビーショップを覗いてみてください。
小さな車体に大きな夢と技術をぎゅっと詰め込んだ18200系が、今度はあなたの部屋のデスクトップで、新しい旅を始めてくれるかもしれませんよ!